ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(26)
これが、前章で触れたぺルー下りの一人であった。ここまで流れてきていたのである。中島又助と名乗った。偶々近くの煉瓦工場で働いていた。
ファゼンダから出た移民の中で、沖縄県人の場合、その多くが鉄道線路を辿って、最初の上陸地点サントスへ引き返した。沖縄に似た亜熱帯性の気候が、彼らを引きつけたといわれる。しかし言葉が判らない。どうすることも出来ず、その辺にへたり込んでしまった。
住民の報せで、サンパウロの皇国殖民から香山が出向いた。が、その問いかけに、彼らは返事もしなかった。皇国殖民の人間には、もう口をきく気にもなれなかったのだ。
その後、彼らは、窮すれば通ず...
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