ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(36)
することなすこと……
これも一九一一年。
数家族の旅順丸移民が、国営のモンソン植民地に入植した。ここは二年前に奥ソロカバナ線のセルケーラ・セーザル(サンパウロ州中南部)の近くに造られ、分譲中であった。それに目をつけた鈴木南樹が、日本移民も受け入れるよう植民地側と交渉、了解をとりつけ、斡旋したのである。
この頃、南樹や香山六郎は、たまにファゼンダ・グァタパラからサンパウロへ出てくる平野運平に会うと、しきりに植民地建設の夢を語っていた。が、具体化の策はなく、南樹はモンソン植民地の利用を思いついたのである。
もっとも斡旋料稼ぎも兼ねてのことで──香山六郎...
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