《記者コラム》様々な記念日に思う=新型コロナや大災害も

3月11日は日本人にとっては東日本大震災から14年の節目の日だった。世界的に見ると、今年は2020年に世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルス感染症の世界的な流行(パンデミック)を宣言してから5年の節目。また、ブラジルでは、3月15日が軍政最後のジョアン・フィゲイレド大統領が退任してから40年を迎えるように、私達の周りには様々な記念日がある。(1)
個人レベルなら、誕生日や結婚記念日は喜びの中で、家族や知人が亡くなった召天記念日などは悲しみや哀悼の思いなどの中で過ごす日といえる。天皇誕生日は皇室と日本国民の関係を考える時となるはずだし、原爆記念日や終戦記念日は戦争や核兵器使用を繰り返してはならないと肝に銘じる時といえるだろう。
子供が生まれたり、引越しをしたなどの大きな出来事があった年の事件は、「あれから何年経ったんだな~」と思い起こすのも容易だろう。そのせいか、1995年に阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件という大事件が発生したことは今でも忘れていない。
様々な記念日を考える時、嬉しいことやお祝い事は思い出すのが比較的容易だし、祝いの席には集まる人も多い。だが、大震災や終戦、サリン事件のような、人の命を奪い、家族の絆や地域の和さえ壊してしまうような出来事や、今もなお、心や体に傷を抱えている人々がいることは、それ以上に忘れてはならないと思う。

今年が大きな節目となる災害には、前述の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件(30周年)、ミナス州マリアナのサマルコ社フンダン鉱滓ダム崩壊事故(10周年)などがある。
先日はNHKで、サリンを作っていた施設のことや、オウム真理教がサリンを生産していたことを証明した科学捜査の担当者のことなどをまとめた番組が流れた。大震災後に生まれた人が語り部となり、当時の様子を伝えているとの報道もあった。
これは、年月を経てもなお、これらの出来事を記憶の闇に葬ってはならないと思う人々がいる証拠だ。その思いを汲み、語り続けて行かなければと思う。80年前に起きた原爆投下や第二次世界大戦後の日本の姿や歩みもまた然りだ。
ブラジルやサマルコ社の親会社の一つのBHPがある英国などでは今も、世界有数の環境問題が生じたマリアナ災害の補償問題が争われていることも心に留めて欲しい。最高裁が批准したマリアナ合意の補償金は20年間かけて払われるという話には、家族や知人、生活の術を失った人達の痛みや闘いはまだ終わっていないと痛感する。
もちろん、これらの事実を知っても、実際には何もできないのだが、今も苦しむ人々に苦難を乗り越える力や慰めが与えられるようにと祈ることや、再発を防ぎ、被害を最小限にとどめるために努力する人々を応援すること、人々の痛みや苦しみを忘れず、感じとる努力をすることはできる。
地球温暖化や気候変動で風水害の甚大化、広域化も起きる中、思いを向け、覚えるべき事柄や人々は、増えることはあっても減ることはない。(み)