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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(124)

2025年3月14日

 支那事変は、先が見えぬまま長期化しつつあった。事変は、日本にとって重荷になっていた。政府は米国との外交交渉によって解決しようとした。
 米も応じ、一九四一年四月からワシントンでいわゆる日米交渉が開始された。
 この時点では、米も交渉に積極的だった。巨大市場を手に入れることが目的であり、その見込みが立てばよかったのである。
 交渉の結果、日米諒解案なるものがまとまった。手打ちは成るかに見えた。が、日本政府内部の足並みがそろわず、了解案は流れてしまった。
 その後も、交渉は続けられたが、奇怪な現象が発生した。十二月、既述の様に日本が突如、米英に開戦したのである...

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