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元サンパウロ州知事=C・レンボ氏が死去=PCC対策などで知られる

2025年3月21日

レンボ氏(Reproducao/Agencia Gov)
レンボ氏(Reproducao/Agencia Gov)

 元サンパウロ州知事のクラウジオ・レンボ氏が19日、サンパウロ市内で亡くなった。90歳だった。同日付G1サイト(1)などが報じている。
 レンボ氏が亡くなったのは19日未明のことだったが、家族は死因を明らかにしていない。葬儀は同日10時30分〜15時にサンパウロ州議会の記念ホールで行われ、埋葬は16時にアラサー霊園で行われた。
 レンボ氏は1934年にサンパウロ市で生まれ、サンパウロ総合大学(USP)で法学を専攻。弁護士などを経て、1975年にオラーヴォ・セツバル市長(当時)の局長となったのを皮切りに、ジャニオ・クァドロス氏、パウロ・マルフ氏の市政でも局長を務めた。
 2002年にジェラルド・アルキミン氏の副候補としてサンパウロ州知事選に勝利。アルキミン氏が大統領選に出馬するために辞任したため、2006年4月に知事に昇格した。知事就任直後の06年5月には州都第一コマンド(PCC)による襲撃事件頻発で、市内の治安が危機に陥ったが、それに対処したことで知られている。同年の12月まで知事を務めた。
 所属政党は、国家革新同盟(ARENA)、民主運動党(PMDB)、自由前線党(PFL)、民主党(DEM)を経たが、2011年にサンパウロ市市長だったジルベルト・カサビ氏がDEMから独立して社会民主党(PSD)を結党した際に帯同。晩年まで所属した。
 レンボ氏の死後、タルシジオ・デ・フレイタス・サンパウロ州知事は3日間の服喪を宣言。ルーラ大統領は「民主主義を約束した政治家」との賛辞を送り、カサビ氏も「彼にかかれば何でもポジティヴに転じた」と政治的功績をたたえた。


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