米国機密文書=キューバと中国の協力拒否=1961年のブリゾラ氏の記述確認

米国のトランプ政権が19日に公開した1963年のケネディ大統領暗殺に関する文書の中で、当時のブラジルの左派の大物だったレオネル・ブリゾラ氏に関する言及が行われていたことが明らかになった。
この日公開された文書は8万ページにも及び、1961年当時のブラジルに関する記述が登場する。これは、CIAがその当時、ブラジルで偵察を行っていたことを意味する。
ブラジルではこの年、就任8カ月で辞任したジャニオ・クアドロス大統領が、辞任前、セルフ・クーデターを企てようとしていたことが書かれている。
後任には副大統領だったジョアン・グラール氏(通称ジャンゴ)が就いたが、当時、ジャンゴ氏と共に大統領の有力候補と見られていたのが、ジャンゴ氏の拠点でもあったリオ・グランデ・ド・スル州の知事で左派の大物だったリオネル・ブリゾラ氏だった。
公開された文書によると、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長、中国の毛沢東・中央委員会主席は1961年、ブリゾラ氏に大統領になるために必要と思われる援助の申し出を行ったが、それをブリゾラ氏自身が丁重に断っていたことが明らかになっている。
文書によると、「ブリゾラ氏はブラジル国内の危機を国際問題にまで発展させることを望んでいなかった」「もし、中国やキューバからの援助の申し出を受け入れたら米国が介入すると予想していた」と記述されている。
ブリゾラ氏は1964年の軍事政権成立時から国外で逃亡生活を送り、1979年に民主労働党(PDT)を結党。左派のリーダーとなる。1989年の大統領選では落選したが、全体で3位となり、90年代にはリオ州知事にも就任。98年大統領選ではルーラ氏の副候補で次点となるなどして活躍。2004年に死去している。(1)