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食の多様性から社会を読み解く=『食文化からブラジルを知るための55章』

2025年7月23日

『食文化からブラジルを知るための55章』の表紙
『食文化からブラジルを知るための55章』の表紙

 日本の人が「ブラジル」と聞いて普通思い浮かべるのは、サッカー、アマゾン、カーニバル――そうしたイメージの背後に広がる多彩な料理と、それを形づくってきた人々の営みがある。5月末に明石書店から刊行された『食文化からブラジルを知るための55章』は、食を手がかりにブラジル社会の豊かさと複雑さに迫る意欲的な一冊だ。

 本書は、ブラジル研究に長年取り組んできた岸和田仁氏、麻生雅人氏、山本綾子氏の3名が編者を務め、社会学、人類学、歴史学、文学など多様な分野の専門家が執筆を分担。タイトル通り55の短い章から構成され、コシーニャ(鶏肉入りコロッケ)やシュハスコ(炭火焼き肉)、フェイジョアーダ(黒豆と豚肉の煮込み)といった定番料理から、宗教儀礼や移民文化、貧困地域の食生活に至るまで、幅広いテーマを横断的に扱っている。

 ブラジルの食文化は、その成り立ち自体が多民族・多文化の歴史が織り込まれている。先住民族の知恵、ポルトガル植民地時代の食材、アフリカからの奴隷の食習慣、そして19世紀以降のヨーロッパ・アジアからの移民たち。章ごとのトピックを追ううちに、食が単なる栄養摂取の手段ではなく、歴史や記憶を紡ぎ、社会関係を映し出す「鏡」であることが見えてくる。

 日本移民に関する章も読み応えがある。1908年の笠戸丸による移住開始以降、日本移民はブラジル社会の一部として根を下ろし、日本食を現地化させていった。寿司やうどんといった料理が、ブラジル食材や嗜好に合わせて変容し、新たな「日系ブラジル料理」として定着していることは、異文化が共存し融合する過程の一例だろう。

 一方で、本書は食の明るい面だけでなく、飢餓や栄養不良、食品価格の高騰、ジェンダーや階級による食生活の格差にも目を向ける。例えば、ファヴェーラ(貧困地区)におけるインスタント食品の普及や、農業政策と食の安全保障の問題など、「食」を通じて現代ブラジルの矛盾にも切り込んでいる。

 各章はコンパクトにまとめられており、専門書でありながら一般読者にも読みやすい構成。巻末には料理名索引や執筆者紹介も付されており、興味のあるテーマから気軽に読み進めることができる。授業の副教材や研究の導入としても有用だ。

 「食べることは、生きること」。そうした言葉がしっくりと響く本書は、食卓を通して人と社会、過去と現在をつなぎなおす試みだ。遠くて近い国、ブラジル。その多様性と奥深さを、私たちの五感に訴えかけ、手に取る価値がある一冊と言えそうだ。


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