サンバに演歌、全18曲を披露=加々美淳氏コンサート=会場満杯200人来場
日本の音楽家・加々美淳氏による特別コンサート「サンパウロ・フトゥーロ」が8月29日午後6時からサンパウロ市ビラ・マリアーナ区のブラジル栃木県人会館で開催され、会場が満杯となる約200人が詰めかけた。同イベントはブラジル栃木県人会、文化団体「Sinos na Floresta」、日系メディア「NIKKEYWEB」が共催し、日伯外交樹立130周年を記念して行われた。
加々美氏は米国バークリー音楽大、ロンドン王立音楽大に留学後、リオやサンパウロを中心に1981年からブラジルでギター、ボサノバ、サンバの本格的な音楽活動を開始。アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトなどの音楽家と交流を深めた。
また、日本に帰国後は坂本龍一、小室哲哉、THE BOOMなど多数のアーチストのレコーディングに招かれ、数多くのCM音楽等も制作している。
ブラジルではリオ市での音楽活動がほとんどだという加々美氏は、この日のコンサートで『Nao Deixe O Samba Morrer』など有名なサンバ曲のほか、エレーナ夫人が作詞したオリジナル曲『Paz(平和)』なども披露した。また、サプライズとして栃木県人会カラオケ部のハカマダ・オサムさんが『倖せさがして』を熱唱して盛り上げたほか、尺八奏者のシェン・響名・リベイロ氏、コロニア歌手のイサ・トヨタ氏も共演。加々美氏がサンバやボサノバに演歌を取り入れた『北酒場』『川の流れのように』など全18曲をギターで弾きながら歌い上げ、会場前では来場者が曲に合わせて踊るなど熱気に溢れた。
サンパウロ市在住で、1980年代の独身時代から加々美氏との付き合いがあるという柴垣暁宏さん(65、愛知県)は、「当時は日本人の学生も多く、いろんな所でフェスタをやっていました。加々美さんはブラジル本場のサンバを修得されましたが、その頃から互いに励ましあっていましたよ」と、約40年前の思い出を懐かしんでいた。
ブラジル音楽研究家の坂尾英矩さん(94、神奈川)は、同じく80年代当時に加々美氏ら3人の日本人留学生と知り合い、ブラジルの音楽関係者に加々美氏らを紹介したところ、ブラジルのテレビ局に出演することになったというエピソードを聞かせてくれた。「サンバはブラジルの民俗音楽であって、最近は日本でも上手く演奏できる人が多いけれど、足りないのは『俗っぽさ』。人を泣かせるのが民俗音楽なんだけど、加々美さんにはその『俗』があるんですよね」と称賛していた。
コロナ禍の影響もあり、今回が6年ぶりの来伯になったという加々美氏。サンバについて、「リオのカーニバルのイメージが強いけれど、それには疑問感があり、音楽としてもっと素晴らしいものなんですよ。多文化のブラジルでミュージシャンは皆、違うパーツ(部分)と感性を持っていて、一緒に知り合うことでそれぞれ、やりたいように演奏している。自分自身の中では『日本人』という部分は消せないし、ブラジル人にはなれないけれど、サンバにいかに自分のルーツを入れるかが大事なんじゃないでしょうかね」と思いを語った。