ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(245)
夫人は幸平の生前、昔の仲間たちが訪ねてきて、よく各地で起きた事件の話をするのを聞いていた。それによると、
「襲撃は、アチコチに別々のグループがあって、それぞれがバラバラにやった」という内容だったという。
筆者は同感だった。
前章までに記した事件に関する記録を見直し、そこから臣道連盟の関わりを消すと、そういう結論しか出てこないのである。無論、グループではなく、個人でやったケースもあったろう。
事件の総て…あるいはその多くを指揮していた組織が存在したと推定できる材料は全くない。
グループ同士が密接に接触していた様子もない。多くの場合、互いに面識もなかったのではあるまいか…。
例えば、パウリスタ延長線キンターナに居った押岩嵩雄は、溝部事件の山本悟以外は誰も知らなかった。
日高や山下は自分たちが住んでいたツッパンで起きた一人一殺事件の加藤幸平たちを全く知らなかった。
ノロエステ線のビリグイ方面やカフェランヂア界隈では、同時期に何件もの事件が起きたことがあり、それぞれ幾つかの小グループがあり、競い合って行動した臭いがする。
この場合は、グループのメンバー間に顔見知りの者が居って、ある程度の情報が伝わっていたかもしれない。が、それ以上の組織的なモノが存在した形跡はない。
不可思議過ぎる現象の原因
動機については、加藤夫人は、
「主人たちの話によると、当時起きた事件は、一つ一つ性格が違い、一律にこうだとは言えないということでした。個人の恨みでやった事件もあったし…」
という。
これも同感である。
連続襲撃事件は、十一章の冒頭で記した様に「終戦直後、日系社会は、祖国日本は戦争に勝ったと信じる戦勝派と、負けたと認識する敗戦派に分裂、相争った。それが昂じて社会的亀裂が走り、殺気が流れ、脅迫行為が頻発、遂には…」という経緯を経て発生している。
が、通説・認識派史観が決めつける様な「狂信的な戦勝派の臣道連盟が敗戦の啓蒙運動をする人々の口を封じるために特攻隊を作ってやった」といった単純な展開ではない。
前章まで長々と記した様に、状況判断の誤認に次ぐ誤認の連鎖が、引き起こしたことで、戦争の勝敗から始まった対立が、四月一日事件が起きた時には、その動機は勝敗問題そのものではなくなっていた。
さらに誤認は戦勝派と敗戦派だけではなく、州警察、米国公館、新聞、州政府、ブラジル政府にまで広がり、それぞれが様々な場面で絡んできて、問題は複雑化、実態より遥かに巨大化・怪奇化してしまった。
襲撃そのものも、敗戦派への一方的なそれから、警察・敗戦派と戦勝派の闘いとなった。闘いのための闘いとなった。
そこに私怨による復讐、その他も混じり込んだ。
そうした中で、動機はドンドン変形して行って、元々のそれが何であったかは、当事者間でも忘れられてしまっていた…という印象が強い。
そもそも、事の発端となった戦争の勝敗問題は、最初は邦人社会内の単なる意見の違いに過ぎなかった。それが、ブラジル社会を揺るがす歴史的大事件に転化してしまったのである。
なんとも不可思議過ぎる現象である。
それを惹き起したのは何か?
状況誤認の連鎖━━の一語に尽きる。
人間の軽率さが招いた大惨事である。
ともあれ、臣連という組織の指揮で行われたのでなく、アチコチにできた別々のグループが時期を違えてやったとすれば、一つ一つ性格が違ってくるのが当然である。
その一つ一つは、今となっては、正確に把握することは至難である。想像するだけである。
ただ加藤夫人の話の中で、筆者が興味を引かれたことがある。
襲撃事件が始まった時、襲撃者が英雄扱いされ、女性の間でもそうであったというのである。
この英雄扱いに関しては、前章で四月にマリリアで起きた事件に関連、一寸触れた。
しかし「女性の間でも…」という一言にはアッと思った。
というのは、筆者は女性というものは、こういう血なまぐさい出来事は、ハナから嫌悪したであろうと思い込んでいたからである。戦勝派の女性でも、そういうことは耳を防ぎたかったのではあるまいか…と。
しかし、これは違っていたかもしれない、と気づいた。(つづく)