site.title

《寄稿》映画監督に聞く①「雨花蓮歌(うくわれんが)」の朴正一監督=在日ブラジル人にも通底する社会問題=ジャーナリスト 高橋幸春

2025年10月18日

1作目の映画『ムイト・プラゼール』の一場面(提供写真)
1作目の映画『ムイト・プラゼール』の一場面(提供写真)

▪️在日ブラジル人子弟描く『ムイト・プラゼール』


夏の参議院議員選挙では、外国人移民問題が注目され、日本の排外主義的な傾向が露わになった。こうしたなかでマイノリティをテーマにした二本の映画が製作されたのは、単なる偶然ではないだろう。

朴正一監督(55)の『雨花蓮歌』は、ある在日韓国人一家の日常が大学生の春美の視点で描かれている。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024国内コンペティション長編部門観客賞を受賞した。2022年に劇場公開された『ムイト・プラゼール(Muito Prazer=はじめまして)』に次ぐ作品だ。

『ムイト・プラゼール』は、ブラジルからデカセギにやってきた日系人をテーマにしている。1990年に入管法が改定され、それまではオーバーステイで働くことが暗に認められていた外国人が国外退去を求められ、その代役として導入されたのが、南米の日系人だった。

日系三世までは就労可能な査証が発給された。ピーク時には日系ブラジル人の数は約32万人に達した。しかし、リーマンショックの時は雇止めで仕事を失い、多くの日系人が帰国し、それでも現在約21万人。

幼い頃、親に連れられて移住し、ブラジルで成長した者を日系社会では準二世と呼ぶが、日本でも「デカセギ準二世」、日本で生まれ育った「デカセギ二世」が数多く誕生している。このショートムービーは居場所を求めて浮遊する彼らの姿を追った。

『雨花蓮歌』のポスター
『雨花蓮歌』のポスター

▪️結婚をめぐる在日の葛藤


2作目の『雨花蓮歌』は79分の長編で、脚本は高橋優作の二人で手掛けた。朴監督が在日三世で監督自身の思いが凝縮された映画でもあり、マイノリティに向ける朴監督の眼差しは一貫している。

大学生活を謳歌する春美には姉麗子がいる。麗子には結婚を約束した恋人がいて、恋人と二人で新居を探すまでになった。そんな二人の前に立ちはだかるのが国籍問題だった。『雨花蓮歌』は、韓国籍の麗子と日本人男性との結婚を在日の側から照射していく。

母親も、そして、周囲も麗子の結婚に反対する。相手が日本国籍だから。一世、あるいは一世と運命を共にしてきた在日二世は、日本人との結婚を忌避してきた。

麗子の母親の女友達が、麗子に見合い相手を紹介しようとする。

「結婚に大事なのは、同じ国籍、同じ境遇、同じ血、私たちがどんな思いをしてきたか・・・」

過酷な差別を受けたてきた在日の実感なのだろう。在日は日本人から「汚い血」とまで差別されてきたと、女友達は麗子に打ち明ける。

在日への70年当時の差別の一端を紹介しておきたい。在日は「第三国人」と呼ばれ、賃貸アパートからも締め出されていた。応募記入欄に本名を記載すれば、アパートも借りることができなかった。こうした差別が日常的に行われていたのだ。

通名で大手電機メーカーに就職し、後に在日であることを明かした結果、採用を取り消され、就職差別だとして裁判で争われたケースもあるくらいだ。

そんな日本社会で一世、二世は生きてきた。

日本人との結婚を頑なに拒絶するのは、36年間にわたる植民地支配と戦後も続いてきた在日への日常的な差別が根底に横たわっているからだろう。それは主義とか思想とかいうものではなく、生活感情と言ったほうがいいのかもしれない。

差別する側と差別される側が結婚し、うまくいくはずがないと多くの在日は考えていた。

しかし、当時も日本人と結婚する在日はいたし、現在では日本人との結婚も多く、片方の親が日本人であれば日本国籍を取得可能で、日本国籍を持つ者が増えているのも現実だ。ところがいざ結婚となると、国籍の問題が顕在化してくる。麗子は結婚を決意した時からそのことで悩み始める。

「今では差別をしてはいけないというのは、誰もがそう思っています。しかし結婚という最も人間的な結びつきを突きつけられると、本人同士だけではなく、日本人、在日、双方の家族に様々な問題が浮上してきます。差別を声高に叫ぶ映画ではなくて、日常の視点で、差別を考えてもらえる映画を創りたかった」

朴監督は『雨花蓮歌』の制作意図を語る。

麗子は小学校の時に三回転校している。

麗子は最初の転校の時、韓国名から通名に変えた。恋人に告白する。

「持ち物すべて、日本名に書き換えた」

でも、一つだけ直し忘れたものがあった。マジックインキで靴に書いた名前だけは簡単には消えなかった。

「泣きながら消そうとしたんだよ」

凄絶ないじめ(差別)があったことを想起させる。

転校初日、麗子は欠席し、麗子のトラウマとなって心に深く刻まれた。実はこれは朴監督自身の体験でもある。

結婚を決意した麗子は恋人を母親に紹介した。それから間もなく、クローゼットから春美は母親のチマ、チョゴリを見つけ出し、それを姉に着させようとする。姉の髪をとかす春美に麗子が話しかける。

「ずっと捨てたいと思っていた。日本人になりたいって思ってた・・・。私って何なんだろう。リョジャ(麗子の韓国語読み)っていう子はどこに行っちゃったんだろって・・・」

涙ぐむ姉に春美が語りかける。

「お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ。麗子でもリョジャでも、私にとっては大好きなお姉ちゃんだよ」

「ありがとう」と答え、麗子はありのままの自分でいようと決意する。

こんな姉妹のシーンが流れた。

「私自身、30歳くらいまでは在日であることを隠し、通名の吉本正一で生きてきました」

本来の自分を伏せて生きざるを得ない状況があったし、今もある。

在日に対するヘイトは過激さを増している。在日に向かって「帰れ」と叫ぶヘイト団体が存在する。

これは在日だけが抱える問題だと私は思わない。

『ムイト・プラゼール』のスタッフと役者たちの記念写真
『ムイト・プラゼール』のスタッフと役者たちの記念写真

▪️デカセギ子弟にも共通する社会問題


50年前、私は移民の一人としてブラジルにわたった。そこで日系三世の女性と結婚し、後に生活基盤を日本に移した。妻の親戚も日本にデカセギにやって来た。デカセギ、そしてその子供たちにも同じように「帰れ」という罵声が浴びせかけられている。

デカセギ子弟の中には、日本の大学を卒業する者も出てきている。

念願の会社に就職した。配られた名刺を見て、彼は愕然とした。日本生まれのデカセギ二世はもちろんブラジル国籍だが、名前には日本名とブラジル名の二つを記した出生届を大使館、領事館に提出するケースが多い。名刺には日本名は記されていたが、ブラジル名は削除されていたのだ。

「クライアントの中には外国人に拒否反応を示す人もいるから」

担当者は悪びれる様子もなく、ブラジル名を削除した理由を語った。

「少しでも違っていると、日本の社会では排除されてしまう。そうした傾向がますます強くなっているように感じるんです。在日、日系ブラジル人、あるいはクルド人への差別の根っこは同じような気がします」

朴監督はそうした危機感を抱きながら『雨花蓮歌』を撮った。

日本人との結婚にわだかまる思いを抱き続ける母親、麗子、春美の三人がショートケーキを食べるシーンが流れる。恋人が説得のために訪ねようとしているところに、春美と出くわす。

「お母さん、チーズケーキが好きだから」

エンディングには春美がこう言って姉の恋人を激励するシーンが流れた。何気ないセリフだが、朴監督の思いが込められている。

「本来なら、国籍の違いって、チーズケーキにするか、いちごのショートケーキか、どちらを選ぶか。その程度のものはずです」

多文化共生と言いつつも、違う者は排除されてしまいがちだ。朴監督は、それを差別だと声高に叫んでいるわけではない。むしろそうした思いは封じ込められ、抑制され、俳優のさり気ないセリフで語られる。

「多文化共生というのは、一人ひとり違うありのままの他者を受け入れ、共に生きることではないのか。マイノリティ、社会的弱者を排撃して、自分はマジョリティの中に加わり、安堵感を覚える。分断と亀裂を深め、その先にいったい何が待っているのか。映画を観て、そんなことを立ち止まって考えてほしいと思っているんです」

この映画は観る者に、愛し合うこと、共に生きることの意味を静かに問いかけてくる。


「雨花蓮歌」上映情報

▼東京都 K’scinema 10月25日(土)から

▼埼玉県 OttO movie theater 近日公開

▼栃木県 小山シネマロブレ 10月30日(金)

▼栃木県 宇都宮ヒカリ座 12月19日(金)

▼大阪府 シアターセブン 11月15日(土)

▼京都府 出町座 11月14日(金)

(※望星サイト10月10日付記事〈https://web-bosei.jp/?p=7263〉より許可を得て転載)


JICA協力隊員リレーエッセイ=ブラジル各地から日系社会を伝える(45)協力とは一緒に考えること=アルモニア学園 見正麻友前の記事 JICA協力隊員リレーエッセイ=ブラジル各地から日系社会を伝える(45)協力とは一緒に考えること=アルモニア学園 見正麻友
Loading...