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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(276)

2025年10月29日


二十五、六家族(百五十~二百人)という数であった。彼らは共同生活をしながら、開墾をし、蔬菜を育てた。

加藤とキヨは、サンパウロの本宅から、時々農園へ来ていた。

入園者は皆、朝香宮、妃殿下と信じ、恭しく接した。二人も鷹揚にそれに応えた。

キヨは妃殿下然と振舞い、こんなことを話したりした。

「私は仙台の伊達家の出である。伊達家は由来美人の系統で知られている。私の美貌は、これを物語る以外の何物でもない」

「明治天皇は、なかなかの発展家であった。私などはその因果で、ブラジルでこんな生活をするハメになった」

ただし彼女は、美貌でもなんでもなかった。

皇族が営むにしては、農園...

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