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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(327)

2026年1月24日


「私が専務になって経営の内情を知った時は、エライ事が起きているナ…と思った。財務危機であった。ともかく金がなくて金がなくて…。

銀行に対する借金も大きかった。経費は膨れ上がっていた。組合員への貸付けも同様で、回収が遅れていた。

このまま行くと、経営は行き詰まる、組合は潰れる…というほどの内情だった。

で、どうするか、どういうふうに解決するかと…。

役員会でも議論し、総会にもかけた。その結果が大変なオペラソン(オペレーション)になったわけだが、これは、あくまで役員会や総会の承認を得て、やった。

で、ともかく財務を一日も早く建て直しましょう、と。負債を減らし、自己資金を強化しましょう、と。

そのために経費を節減することになった。赤字部門は切り、組合員、従業員の大量整理もやった。

組合員に対する債権が大きくなり過ぎていて、特にプーリングの赤字が大変なことになっていたので、その清算に力を注いだ。

投資は、どうしても必要なもの以外、先に延ばすことにした。特に外部への投資は止めることにした」

話の中に出てくるプーリングとは「生産物別の組合員の共同会計」のことである。

組合員の出荷物の販売収入、経費支出を、これで管理していた。赤字とは、その収入を支出が上回っている状況を指すが、その差額は組合が立て替えていた。

右の経費節減策に関し、ケイロウは以下の様に、部分的にやや詳しく、説明を続けた。

「組合は販売や購買の手数料で収入を得ているのだから、組合員には、良い意味で利用してもらう以外ない。

だから出荷もせず、悪い意味で利用だけして、特別出資にも応じない人には、組合を抜けてもらった。二、五〇〇人くらい抜けてもらった。

残ったのは八、〇〇〇人ほどだった」

(六〇年代末、一万五、〇〇〇人であった組合員は、その後かなり減っていたことになる。抜け売り統制策の結果であろうか)

「フンショナリオも一、〇〇〇人くらい辞めてもらった。七、〇〇〇人ていどに減らした。多い時は月に百数十人、辞めてもらった。

プーリングの赤字は、黒字が出る度に清算してもらうことにした。

組合員が色々な施設を作りたい、と言って持ってくる話も我慢してもらった。財務状態が良くなったら、やりましょう、と。

外部への投資計画では、三井物産との肥料工場の建設を中止してもらった。私が三井へ行って申し入れた。向うの社長には、エラク怒られた。

が、組合員がアレを作りたい、コレを建てたい、と言ってくるのを断っている時、外部に投資できるわけはない。

だから、それはしないと総会で決め、組合員にも伝えた。

きびしくすると反感を買う。しかし、やらねばならない、と思った。そのうち組合もよくなり理解してくれる時期がくるだろう、と。

もっとも、自分が直接やるべきではなかったかもしれない。誰か担当者を決めて、それに任せて…。

しかし自分がやった。反動が来るナ…とは覚悟していたが、やはり次の理事選挙では、私は当選したけど、ビリだった。ああ、しっぺ返しだナ、と…」

右の話の中にある肥料工場を、三井物産と合弁でつくることにしたのは、会長のゼルヴァジオである。その面目は丸潰れとなった。

六〇年代からの安田ファビオ、谷垣皓巳、小笠原一二三に続いて、今度は下元ケイロウが、ゼルヴァジオの前に立ちはだかったのである。

前章で記したその外見から想像される様な〝貴公子〟的な優雅な立場ではなかったことになる。相次ぐ葛藤の中に居たのだ。

吹き荒れるケイロウ旋風で、コチアには重苦しい空気が広まった。これが六年も続く。

ところで、ゼルヴァジオが外部と約束したことを、ケイロウが覆したケースは、他にも幾つかあった。その一つが、例のセラード開発プロデセールへの参加であった。

プロデセールは、一九七八年に至り、ようやく推進会社として、日伯合弁のCAMPOが設立された。

さらに開発拠点が、ミナス州パラカツに決まり、七九年、入植者の募集が始まった。

これに、コロニア側から手を上げたのが、サドキンの山本勝造である。南銀の橘社長を説いて同行を誘い込んだ。(橘は、七八年、南銀の社長に就任。頭取という言葉は「古臭い」といって「社長」を使用した)

さらにコチアも仲間入りさせるべく、ゼルヴァジオに声をかけた。ゼルヴァジオは、これを承諾した。ところが、この話がひっくり返ったのである。ケイロウの強硬な反対によるものであった。(つづく)


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