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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(338)

2026年2月10日


 坂田は、そのうち弾がなくなった。横のコジーニャの棚の引き出しに、予備があるのを思い出し、這って取りに行った。

 強盗は、その外側にも居って「アッチへ行け」とか「コッチへ来い」とか言っていた。

 深夜で、空気がシンとしており、声が、よく聞こえた。

 強盗がコジーニャに近づいたところを狙って撃った。向こうも撃ってきた。

 しばらくして外で「奴らの弾がなくなったゾ」とか「まだ持っているゾ」とか話す声が聞こえた。背の高い黒人が、指揮をとっていた。

 この間、三男が梯子を使って屋根に出、彼らに見つからぬ様に庭に降り、隣家へ救いを求めに走った。

 どのくらいの時間が経ったのか、強盗たちは諦めて引き上げた。幸い、怪我人は出なかった。

 警官や消防署員、近所の住民が、駆けつけたのは、強盗が去った後で、夜が明け始めていた。

 家の中は煙だらけ、壁はアチコチ焼け焦げていた。銃弾の跡が扉やコジーニャの壁に残っていた。(その跡は、その後も、そのままにしてある)

 ともあれ、立派に闘い撃退したのである。多くの賛辞が寄せられた。

 しかし、面白からぬ話も残った。

 警官と消防署員が引き上げた後、奥の部屋の棚が空いていて、抽斗の中の貴重品が無くなっていたのだ。

 警察と消防署に知らせると、警官二人がクビになった。強盗には奪われず、彼等が逃げてからノコノコやって来た警官に盗られたわけである。

 その後も警官がやってきて、

 「犯人を捕まえてやる。が、金がかかるゾ」

 と、なんとかして金にしようとした。

 モジも強盗が多く、

 「誰某は殺された」「何々家は二回押し入られ、引っ越してしまった」

 「金を奪って行った奴を、警官が殺してくれたが、戻ってきた金は半分になっていた(残りは、警官が懐に入れた、の意味)」

 といった類いの話は

幾らでもあった。

 他地方でも日系人の被害は頻発した。金品を取られただけ…という程度の単純な事件になると話題にもならない、というのが実情だった。

 ために、サンパウロから遠く離れたある地方では──詳細は伏せるが──地元の日系社会で、反撃のための裏組織をつくり、警察に依頼、強盗団を〝処置〟した。

 事件が起きると、警察が二つの方法のいずれかをとった。

 一つは、完全武装で、強盗団のアジトに乗り込んで逮捕する。これは正規の方法。

 もう一つは、警官が右の裏組織を訪れ、相談の上、話が決ると、密かに強盗団を襲撃、射殺する。

 つまり、その強盗を、どこのバンヂード=ならず者=がやったのかを、警察が直ぐ判るほどの状態だったのである。

 逮捕するか、裏組織と相談して殺すか、どちらをとるかは、警官の選択であった。裏組織が絡む場合は二、三日から一週間ほどすると、警官から連絡が入る。

 「今朝の新聞を見たか?」

 とだけ言う。

 新聞を見ると「何人の男の死体が、どこそこで発見された」といった類いの記事が出ている。彼らの仕事の結果報告であった。

 これを一度やると、その地域は一年から二年、日系人は襲われなかったという。

 無論、相応の謝礼は払った筈である。

 当時のブラジルに於いては、当然の自衛行為であった。なにしろ、強盗によっては、金を奪うだけでなく、残虐な方法で殺したり、親を縛り上げ、その目の前で、まだ少女のような娘をレイブしたりして行くのである。

 ある地域では、自警団を作った。そのリーダーは、いつもブーツやバンドに二丁の拳銃をつけていた。

 バンヂードが自分達の村に入ってくると、捕まえてはリンチした。二度と来ないようにするためである。

 ただ、右記した数件の様なケースは少なかった。日系人の弱さである。

 一九七〇年代以降は、犯罪の多発という面でも、百年の日系社会史上、最悪の時代となった。

 ために農村部では、日系の集落の人口がドンドン減少して行った。廃業して転出するか、住まいを市街地に移し、農場には通うようにしたためである。

 集落そのものが消滅してしまった所も少なくない。

 移民史上、最も著名なプロミッソンの上塚植民地も、そうであった。(つづく)


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