応接間へ現われた松村は運平を見て驚いたような表情を一瞬浮べた。二年前の颯爽とした精悍な男とは別人がそこにいた。弱々しそうに、何度も頭を下げ、顔色が冴えない小男がそこにいる。鼻の先だけが不自然に赤く、彼自身も気にしているようにハンカチを出して何度も何度も鼻をこすっている。酒が切れているので、その手が微かに震えていた。
運平の用件を聞いて、
「幾ら入用ですか」
と、松村は訊ねた。
「八コントです」
「ほう、大金ですな」
松村は困ったように言った。
「私もそれだけの金の手持ちはないのです。すぐ要るのでしょう?」
「なるべくなら……」
低い声で、うつむいたまま運平は答えた。
「いや、これは失礼。私の言い方が悪かった」
「…………」
運平は下をむいたままだった。
「私の妻がへそくりを持っています。それで立て替えましょう。いや、恥を言うようだが、総領事など右から左へ金が出てしまうのですよ」
「奥様のお金を借りるなどとんでもない。辞退いたします」
「金は金です。それとも女の金などイヤですか」
「とんでもない。そんな失礼なつもりで申したのではありません」
「まあ、上へ行きましょう」
二階が総領事夫妻の住居になっていた。
「菊子。平野さんに八コント用立ててあげなさい」
「はい」と答えて菊子は手文庫から出した。
「平野さん、返済はいつでもいいのですよ。返済しなくてもいいと申し上げたいが、貴方のことだから返すつもりでしょう。植民地が楽になったら返してください。だから、なるべく早く返して貰いたいとも思います。つまり、植民地が一日も早く成功して皆の生活が楽になるように祈ります」
「有難うございます」
運平は卑屈なほど幾度も頭を下げて礼を言った。札を受取る手の震えがさっきより激しくなった。
「礼など言わないでください 。貴方に酷い苦労をかけて心から済まないと思っているのです」
「ありがとうございます」
「体にだけは気を付けてください」
松村は震える手に視線を注ぎながら心配そうに言った。辞去する運平を松村は階下まで送ってきた。入口で頭を下げ、門を出るとき頭を下げた男を、松村は沈痛な表情で見送った。
運平はバウルーに戻り、弁護士を通じて旧地主のギマランエスのサインも貰い、完全な登記書類を作成させた。(つづく)