
「初めてブラジルに来ました。1カ月に1回ぐらい、ニッケイ新聞サイトを固め読みしていたので、実際にこの地に訪れることができ感激です」――カナダ戦後移民の越智光彦さん(69歳、愛媛県)が27日、友人である滋賀県人会の山田康夫会長に連れられて編集部を訪れ、開口一番、そう語った。
1980年、越智さんは24歳の時にカナダ・バンクーバーへ移住し、中心から40キロ離れたメイプルリッジ市に住む。商船高等専門学校の航海学科を卒業した関係で、「外国航路の貨物船の船員を養成する学校だったので、外国に行ってみたいという学生が集まっていた。私も自然に卒業したら海外へという気持ちになっていた。たまたま日本国内での就職がうまくいかなかったこともあり、それなら海外移住しようと思って、探してみたらカナダが永住権をとりやすいことが分かり、申請したら本当にとれたので、そのまま」という経緯で移住した。
驚くことに「最初から日本に帰るつもりはなかった。もちろん、親の顔を見に数年に一度帰省した」という。カナダの戦後移民は1960年代から自動車修理工、散髪屋、歯科技工士が多く、毎年数千人が移住していたという。「ただし、この10~20年でビザが厳しくなった」
越智さんも30年間、自動車修理業に従事し、10年ほど前からガーデナー(庭師)に転職。「修理業の最後の1年間、ドイツ車専門の修理店にいましたが、最後までドイツ車は好きになれませんでした。私はやっぱり日本車に感性が合っている」と振り返る。
庭師に転職したキッカケを聞くと、「昔から植物が好きで、趣味が水石(すいせき)なんです。週末になると近くの海岸や川辺を歩いて自然石や流木を収集する。北米には同好の志が集まるクラブもあり、ほとんど白人ですか同じ趣味の人がいます」とニッコリ。
自然好きの趣味が高じて30年ほど前から週末だけ庭師のアルバイトを始め、仕事を覚えて10年ほど前に本業にした。「移住以来、ずっと独身。家族がいたら違う人生を歩んでいたかも」と笑う。
ここ10年ほどパラグアイ、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ペルー、コロンビア、パナマ、コスタリカ、メキシコなど中南米通いをしている。「中南米は英語が通じないので、いかにも外国に来た感じがする。郊外に行くバスに乗り、日がな一日、道端の風景をずっと見ながら過ごしています。郊外の畑、家の庭、自動車の修理工場などを除くのが楽しい。観光地ではなく、普通の田舎を見に行くのが面白い」という趣味の持ち主だ。
今回はクリチーバを中心に3週間滞在する予定。「今後4~5年はブラジルを訪れたい。アマゾンにも行きたい」との目を輝かせた。