《記者コラム》選挙キャンペーン最前線の裏側=難民が政治家に変貌するとき=大浦智子=(2)

筆者が補助員(Assessor)を務めるサンパウロ州議員に立候補予定のアブドゥルバセット・ジャロール氏(32歳)は、ブラジルに来て8年とは思えないほど広範囲な知人がいる。
彼は、シリア戦争の爆撃で一緒にいた周囲の若者が100人以上も命を失った中、数名だけがかろうじて生き伸びるというたぐい稀な経験を持つ。それゆえ、その並外れた行動力の源泉には、「一度は捨てた命」の底力としか思えない時がある。
戦前戦後の日本に生まれ育った日本人や、ブラジルの日本人移民のバイタリティに近いものを感じる。
選挙活動に入ってからは、彼に同行して、本来なら縁遠いはずのブラジル政界中枢の政治関係者と会う機会も増え、今まではメディアを通してしか拝見できない人々を間近に見るチャンスが訪れた。
同氏が中東出身のアラブ人ということで、行く先々で出会う人がアラブ系やユダヤ人が目立つということ自体、日系社会を基本に生きている身の上としては珍しいことばかりである。
例えば、行った先々の事務所や店には、どこかアラブ風に金色に光った家具や装飾が置かれていることが実に多い。そして筆者がいると、大概、気を遣って日系社会や知り合いの日系人、日本文化の話題も合間に挟んでくれるのはとてもありがたい。
人と人を結ぶ今昔の移民への思い

そもそもジャロール氏が選挙に出ようと考え始めたのは、ブラジルに帰化した2020年中頃だった。そしてマルシオ・フランサ元サンパウロ州知事(59歳)のルシア夫人(60歳)が、ジャロール氏の活動していた移民と難民を支援するNGOを訪問したことがきっかけになった。
その活動に共感し、サンパウロ州海岸部プライア・グランデで同夫人が校長を務める私立学校に招き、難民に関する講演を行う機会もあった。そして、今年の選挙も視野に入れて昨年3月、フランサ夫婦がサンパウロ支部の顔であるブラジル社会党(PSB)に入党した。
フランサ氏によると「私はレバノン人」というらしいルシア夫人は、親族がレバノンにも縁のあるジャロール氏に、自らの祖父母がブラジルに移民してきた時の苦労を重ね合わせ部分があるようだ。しかも、息子のカイオ・フランサ・サンパウロ州議員(34歳)とは同世代で、その存在は心揺さぶられるものがあったのではないだろうか。同夫人は話し好きで笑顔のすてきな気さくな女性である。
当選を後押しする時勢や強烈なインパクト

難民だったジャロール氏が、ルシア夫人を通じてブラジル政治の扉が開かれたというのは間違いない。選挙活動が本格化して初期に訪問したのもマルシオ・フランサ氏だった。サンパウロ市ジャルジン・パウリスタ地区の事務所を訪ねると、茶系のシックでモダンな室内が印象的だった。
ジャロール氏が選挙での票獲得についてフランサ氏に尋ねた時、例に出されたのが2011年から2期、PSDから出馬して連邦下院議員となったケイコ・オオタ(太田ヨランダ慶子)氏のことだった。
彼女の子どもが殺害された悲劇が大きなニュースとなり、その強烈なインパクトも票につながったように認識されている。これまでも党大会でオオタ氏のことは度々紹介されていた。要は、時勢が後押しすることもあり、候補者は何が好機となるかは最後まで分からないということである。
ジャロール氏はブラジルの難民と移民問題の活動家の顔を持ち、現在、PSBでは難民・移民部門の代表である。4月の党集会で、同氏のスピーチの後にはタイムリーなウクライナ難民の映像も流され、フランサ氏とアルキミン氏も立ち上がって彼に歩み寄るという一コマがあった。
ボルソナロ大統領は2018年12月、ブラジルが国連移民協定から離脱すると発表した。しかし、今もサンパウロにはラテンアメリカ、アフリカ、中東、アジア各国から難民申請をして移民となることを望む人々が少なくない。
プロトコル(申請受付証明書)を得れば合法的に生活できるが、彼らの仕事や住居など、新移民の問題はサンパウロ州が解決すべき課題の一つとなっている。かつての日系議員が日本人などの移民問題を解決するのに奮闘してきたように、いつの時代も移民問題解決には政治力も必要である。