ヒタ・リー、国とサンパウロ市が3日間の服喪=各界で死への反響大きく

8日夜に亡くなり、9日にそれが公表された女性ロック歌手ヒタ・リーに対し、ルーラ大統領は3日間の服喪を公式に定めた。ここ最近の芸能人の死の中でもヒタの死はかなり大きく報じられ、10日の通夜にも各界の有名人やファンたちが駆けつけた。10日付G1サイト(1)などが報じている。
ルーラ大統領は9日にヒタの死を知ると、「忘れられない存在」とし、ネットを通して弔辞を送ると共に、向こう3日間、国として喪に服し、冥福を祈ることを宣言。「ヒタ・リーの名はブラジル音楽界において最も大きく、愛されていた。彼女は常に時代の先を行く存在だった」と讃えた。
9日は各方面からの弔辞や追悼が相次ぎ、音楽界からはカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ミルトン・ナシメント、ピチィ、ロベルト・カルロス、ムタンチスでともに活動したアルナルド・バチスタ、音楽界入りの恩人のロニー・ヴォンらがメッセージや歌、貴重な写真や映像で彼女を追悼した。
また、彼女が愛したサッカーの名門コリンチャンスや、同チーム出身のカーザグランデも各々、追悼を行っている。カーザグランデは、現役時代に名選手ソクラテスとともにヒタとステージで歌った写真も公開した。
世界各国のメディアも次々と、「元ムタンチスで、ブラジルのロックの女王」との見出しを掲げ、彼女の死を大きく取り上げていた。
10日の通夜はサンパウロ市南部イビラプエラ公園のプラネタリウムで行われた。ヒタはこの近所に住んでおり、プラネタリウムに毎週通うのが習慣だった。
通夜に駆けつけた人の多くは芸能界の関係者やファンだったが、サンパウロ市を代表した歌手ということもあり、市の関係者の姿も少なくなかった。サンパウロ市も3日間の喪に服すことを宣言している。
また、一般からの参列者は古くからのファンだけでなく、彼女の自伝を抱えた若者などの姿も見られた。