《記者コラム》ブンバの丘の惨事から13年=進まない天災、人災の補償

21日朝、いつものようにあちこちのサイトの記事を見ていると、「ブンバの丘の惨事:13年後も人々は危険地域に住み、家が与えられるのを待っている」という見出しが目に飛び込んできた。
この記事は、20日放映のグローボ局の番組が扱った複数の地域での大雨による土砂崩れ(地滑り)の中から、2010年4月8日に起きたリオ州ニテロイ市ブンバの丘の件を取り上げたものだ。
ブンバ地区は長年、ゴミ捨て場だった場所で、大雨により、丘のようになっていた2カ所で土砂崩れが発生。大量の土と石、ゴミが少なくとも200人を生き埋めにし、最終的に48人が死亡した。
土砂崩れでの家屋倒壊は地震の場合と違い、生き埋めにされた人が呼吸を続けられるための空間が残されていないことが多い。生き埋め死者が全体の4分の1以下で済んだことは不幸中の幸いだが、生存者は低体温症などを起こしていた。
また、彼らは今も土砂崩れが起きる危険性の高い場所に住み、市役所が住居を提供してくれるのを待っているという。
同地区に約60年住み、事故直後もどこに家があったかを示して救出活動を助けたドーラ・デ・ソウザ氏(78)は、「市役所はブンバが危険地域だと認めているが、他の人のためにだけ建物を壊し、家を買っている。私は私に有利な決定が出るまで待つしかない」と嘆く。
同地区では、市役所からの家賃の補助が説明もなく打ち切られ、生活に困窮している人もおり、被災地での支援活動や補償の遅れ、中断といった問題を考えさせる。現在は、サイクロンに襲われたリオ・グランデ・ド・スル州やサンタカタリーナ州の回復や修復が緊急課題となっている。
被災者がその後も危険地域に住み続け、補償も進んでいない例は、サンパウロ大都市圏ABC地区、サンパウロ州海岸部、リオ州山間部などでも見られるが、補償の遅れは天災の場合に限らない。

ミナス州マリアナ市やブルマジーニョ市での鉱滓ダム崩壊事故でも、家や家族、健康を失った人や生計が成り立たなくなった人、別の土地への移転を余儀なくされた人、被災自治体への補償問題が今も解決していない。マリアナの事故は2015年11月5日、ブルマジーニョは2019年1月25日に起きている。
また、2019年2月に起きた、アルセロールミタル社の鉱滓ダムの被災想定地域住民の強制移転に関する補償も、19日に合意への署名が行われるなど、被災者は常に立場が弱い。
命が助かっただけでも儲けものと言えばそれまでだし、為政者や企業の側にも言い分があるだろう。だが、被災者達はどんな苦境に立たされても生きて行かなければならないし、近親者を失った場合も含め、日常が壊された後も生活を維持していくのは決して簡単ではない。為政者や企業が弱者に寄り添い、自分の問題として取り組むことができるよう、弱い立場にある人々が慰めを得、笑みのこぼれる日常を取り戻せるよう願っている。(み)