ジョアン・ドナートが死去=ボサノバを代表するピアニスト
ボサノバの第一人者の一人、ピアニストで作曲家、歌手のジョアン・ドナートが17日、亡くなった。88歳だった。同日付UOLサイトなど(1)(2)(3)が報じている。
1934年にアクレ州リオ・ブランコで生まれたドナートは、11歳にリオに引っ越してから音楽に夢中になり、18歳でジャズ3人組のトリオ・ドナートを結成する。
1956年にピアニストとしてアルバム「シャー・ダンサンテ」でデビューを果たすが、その時にプロデューサーを務めたのがアントニオ・カルロス・ジョビンで、そこからヴィニシウス・デ・モラエスやジョアン・ジルベルトなど、のちのボサノバの大家らの知己を得ていくことになる。
60年代は米国に渡り、ジャズやラテン音楽の大物と共演。帰国した70年代にはカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルら、当時は台頭して間もなかった後のMPB(ブラジル大衆音楽)の大物たちのバックも務めた。
70年代に入るとアレンジャー、さらには自身が自ら歌手を務めるアルバムを出すようにもなる。彼の作風はジャズとボサノバを両立させた音楽性で注目され、1973年のアルバム「ケン・エ・ケン」は名作との誉れも高い。
高齢になっても健在ぶりを示し、晩年もステージに上がり続けた上、昨年は自身の名義による最新アルバムも昨年発表している。
ドナートは17日未明に亡くなったとされるが、死因は明らかにされていない。通夜は17日にリオ市立劇場で行われている。