《記者コラム》「私達は貴女と共にいる」=五輪選手の闘病を追う

サンパウロ州ピラスヌンガで開催されたトライアスロン大会「ブルー・ロング・ディスタンス」で7日、氏名や記録、大会のロゴと共に、「#ルイーザ・ゲレイラ(戦士ルイーザ)」と書かれた認定証が配られた。9日付オ・ジアやグローボ・エスポルテによれば、この認定証の書き込みは、23年12月23日にサンパウロ州内陸部サンカルロスでの練習中に事故に遭い、現在はリハビリ中のトライアスリート、ルイーザ・バチスタ氏を応援するものだ。
弊紙では事故のことなどは取り上げていないが、ルイーザ氏は18年のリオ市での南米大会混合リレーで金、個人で銀を取り、19年のペルーのリマで行われた汎米大会では個人と混合で金メダルを獲得。東京五輪にも出場したアスリートだ。
彼女は昨年末、自転車での訓練中、無免居運転のバイクに正面衝突され、サンカルロス市の病院に運ばれたが、大量出血に伴う血圧低下で心臓が8分間停止する程の重体で、頭部外傷、肋骨と鎖骨、脚の3カ所の骨折に加え、折れた肋骨で肺に穴も開いていた。翌々日にサンパウロ市クリニカス病院に移され、血液凝固や肺の合併症故の対外酸素化療法(ECMO)などと、7回もの手術が必要とされた。
彼女が事故に遭い、昏睡状態にあることを知った人達は、回復を祈るメッセージを無数に彼女へ送った。ブラジル五輪委員会は事故翌日やその後に「私達は貴女と共にいる」というメッセージを発信し、その言葉は9日のオ・ジアの記事にも書き込まれている。
パリ五輪を目指しての練習中の怪我は非常に重く、昏睡状態は2カ月続いた。だが、3月9日には四肢全てを動かせるようになり、事故後初めて話す姿が発信され、その後は少しずつだが確実に回復する様子が伝えられるようになった。
3月10日には愛犬2匹の訪問を受けて、「すぐ戻るからね」と約束すると共に、競技に戻る日を心待ちにしているとも語った。3月17日には歩行器を使いながら集中治療室の廊下を約60メートル歩いた。

競技復帰を目指していることは、3月31日夜の番組で、「全力を尽くして戻る」と発言したことや、事故から100日の今月1日、ブラジル代表のユニフォームで集中治療室を出たことからも窺える。
集中治療室を出た後に発信した映像では、「集中治療室の部分は終わり。競技に戻るための作業を始めなくては」「生き残り、復活したことを感謝している」「4年後の五輪を見ている。パリは無理だけど、リマの汎米大会では二冠となれるかもしれない」とも語っている。競技復活には筋肉を鍛えなおすことが必要だが、入院先でのリハビリは順調で、7日には自力で四肢を動かし、自転車をこぐ姿も見られた。
生死の境を迷った後に復活したルイーザ氏の姿は、克服という言葉の生きた例だ。今後の戦いを見守りたい。(み)
(1)https://odia.ig.com.br/esporte/2024/04/6824853-competicao-de-triatlo-homenageia-luisa-baptista-estamos-com-voce.html
(2)https://www.threads.net/@odiaonline/post/C5jo8oJpZHT
(5)https://pt.wikipedia.org/wiki/Luisa_Baptista
(6)https://www.aredacao.com.br/noticias/201487/triatleta-luisa-baptista-e-transferida-para-o-hc-da-usp 12月25日
(8)https://www.redebrasilatual.com.br/esportes/luisa-baptista-atropelamento/ 12月24日