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「我々子孫は忘れてはいけない」=戦中の親世代への迫害見直し=宮村さん、恩赦委員会の意義強調

2024年7月4日

『Isolados em um Território em Guerra na América do Sul』を手に、当時の両親の気持ちを思いながら講演する宮村さん
『Isolados em um Território em Guerra na América do Sul』を手に、当時の両親の気持ちを思いながら講演する宮村さん

 「ここに書かれていることを、我々子孫は忘れてはいけない。この本を読むと胸が痛くなる」――月に一度開催される日本歴史ポ語講座(宮村秀光主催)がサンパウロ市の日本語センターで6月29日午後、第2次世界大戦中に起きた「サントス強制退去退去事件」をテーマに行われ、宮村さんのそんな言葉に約30人が耳を傾けた。
 最初に、6月8日に清和友の会が実施した「日系社会遺産遺跡巡り」のサントス強制退去事件の跡地巡りの報告が行われ、続いて7月25日にブラジリアで行われる本事件に関する連邦政府の謝罪を審議する恩赦委員会の意義が語られた。
 宮村秀光さんはサントス事件当時、母のお腹で5カ月だった。「両親は1934年に移住し、それから10年がかりでサントスで築き上げた財産をほとんど強制立退きで失った。当時、日本人はキンタ・コルーナ(スパイ)と差別されていた。父は戦後、損害賠償できないかと考えていたが結局あきらめた。さぞや無念だったろう」と思いやった。
 宮村さんは、岸本昂一著『南米の戦野に孤立して』(1947年刊)のポルトガル語版『Isolados em um Território em Guerra na América do Sul』(Ateliê Editorial、23年12月出版)を手に掲げ、「両親は戦争時代にどんな酷い目に遭っていたのか、恥とも言えるその体験は我々に伝わっていない。公の場所では日本人同士でも日本語で会話したら警察に捕まった。彼らはブラジル人から『敵』や『スパイ』と後ろ指をさされ、警察の留置場は日本人で一杯になっていた。そんな戦争中の話が、ここにははっきりと書かれている」と声高に訴えた。
 この原著は、第2次大戦中に起きた日本移民迫害をまとめた禁断の書で、終戦直後に日系社会でベストセラーとなったが、公安警察(DOPS)から発禁処分にされた曰くつきの著作だ。
 「1942年1月、ブラジルが枢軸国に外交断絶を宣言した瞬間、日本移民は敵性国民に変わってしまった。これは我々の歴史の汚点となった。今ウクライナではロシアの侵略で同じようなことが起きている。我々の親はそんな戦争の時代に生きていた。日本の外交官は交換船で祖国に帰ってしまって誰に訴えることもできなかった」と両親が生きた戦争中に思いを馳せた。
 「ここに書かれていることは、我々は忘れてはいけない。その象徴がアンシェッタ島の監獄に送られた172人、そしてサントス強制退去事件だ。一度、恩赦委員会で否定されたにもかかわらず、奥原マリオさんと沖縄県人会が再申請して、7月25日に審議されることになったことは、我々子孫全体にとって重要な意味がある」と訴えた。
 続いてブラジル沖縄県人移民塾の宮城あきら代表は、サントス強制立ち退き事件の証言集めを始めた経緯を説明し、沖縄県人会元会長の島袋栄喜さんは「6500人もの日本移民が強制立ち退きされたのに政府は今もって何も言わない。不思議なことに日系社会側もそれに関してコメントするのを避けている。日本移民史は何冊も出ているが、サントス事件に関して詳述したものはない。カナダ、アメリカの日系人は戦時中の扱いに関して政府を訴え賠償させた。だがブラジルは違う」と比較した。
 その上で「一緒にブラジリアへ行って、この動きを応援してください」と沖縄県人会が企画している7月25日の恩赦委員会公聴会に出席するツアーへの参加を呼び掛けた。同ツアーに関する問い合わせは宮原スエミさん(電話11・99633・6791)、高良会長(11・97576・4299)まで連絡を。


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