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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(54)

2024年11月19日

ノロエステ線

 先に、植民地や小規模な入植地が各地で多数造られている……と書いたが、確かに、この頃、植民事業が本格化しつつあった。
 で、その場所であるが、それは当時、新たな開拓前線として注目されていたノロエステ線の沿線が多かった。
 ノロエステ線は、一九〇〇年代の初め、森の中の猟師たちの休息所を起点として、敷設され始め、西北西へと伸びて行った。その休息所の呼び名が「バウルー」だった。
 この新しい鉄道の沿線で、邦人の植民事業が始まり、ブーム化した。邦人だけでなく、南欧移民も多かった。
 彼らは鉄道が伸び、駅が出来るのを追うように、その周辺地帯に入植した。...

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