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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(112)

2025年2月22日

 親たちは「いずれ日本へ帰るのだから、無理して、子供をポ語の学校へ行かせる必要はない」と割り切っていた。
 が、日本語は学ばせようとした。初歩的なそれは、親や年長者が教えた。日本から輸入される雑誌類は、無理をしてでも買い与えた。日本語を学ばせ、日本人としての自覚を持たせるためである。
 彼らはやがて自営農となり、サンパウロ州、パラナ州その他で、集団で営農した。そこでは、必ず日本人会をつくった。会の主目的は日本語の学校をつくることだった。学校といっても、寺子屋式の粗末なモノであったが…。
 このブラジルでは、どこかに植民地ができると、入植者が非日系の場合、真っ先...

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