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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(190)

2025年6月24日

 この病中、三浦を見舞った青年がいた。平田進(九章参照)である。この平田に三浦は「マンテイガとケイジョを食べたい」と言った。 
 平田は数日、そのブラジル産バターとチーズをアチコチ探した。東山のブラジル総支配人だった君塚慎の家で見つけ、力行会へ持参すると、永田が出てきて、こう言った。
 「一昨日、亡くなりました」
 筆者は、これも四章で記したが、一九六〇年代、力行会に通ったことがある。敷地内に木造の校舎の様な建物があり「あそこに、昔、三浦という有名な人が暮らしていた。大変な反骨精神の持ち主だった」と誰かから聞いたことがある。
 戦後、三浦が日本で戦時中に書い...

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