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帰化して三重知事選挙に挑戦=「日本の姿」問う石川剛さん(3)=建設現場から仰ぎ見る国の未来

2025年8月1日

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 18歳で神奈川県に移った石川さんは、昼間は建設現場で測量と溶接の仕事をしながら、夜間高校に通い始めた。しかし、一年半後に夜勤となり、通信制に切り替えたものの、仕事の現場が移動して勉強する時間がなくなり自主退学した。後に娘が中学校に進学した際、勉強を教えてほしいと言われて答えられるようにしたいと思い直し、改めて勉強を再開。高等学校卒業認定試験の7科目に一度で合格した。

 「仕事は面白くて休んだことはありません。今思えば、父と同じ仕事を続けてきました」

 1998年に「石川測建」を創業し、鋼構造物の溶接組立や造船・海洋構造物の水中溶接、木造住宅の耐震補強、一般電気工事などを手がけ、全国各地へ出張してきた。2011年の東日本大震災の際には、長期出張で家族とともに茨城県ひたちなか市に滞在していたが、自身も震災による被害を受け、復興の遅れやその後の生活の不安定さを目の当たりにした。

 特に当時2歳だった子どもの将来を考える中で、より安心して暮らせる環境を求め、以前から仕事で関わりがあり、全国への出張にも便利な三重県への移住を決断した。また、震災時には行政の対応や復興の進捗に大きな差があることを感じ、非常時における政治や知事の迅速な判断・決断の重要性を痛感した。

 2014年には「IHI技建株式会社」を設立し、当時は福島第一原発の災害復興工事に専念。急務だった汚染水備蓄タンクの築造工事も無事に完了させることができた。

選挙出馬の原点

「政治の欺瞞を変えたい」

 石川さんが政治の世界に足を踏み入れようと決意したきっかけは、日本の政治に対する疑問からだった。これまでに3度の選挙、津市議会議員選挙/2014年、三重県知事選挙/2021年、津市長選挙/2023年に立候補した。

 選挙の時期になると、それまで国民を苦しめていた税金に目を背けるかのように、政府が突如として様々な助成金を出したり、最近では米やガソリン価格を下げたりするのを見て、「選挙のための政治」ではなく「暮らしのための政治」を実現し、根本的な日本の問題解決に向き合うために県知事選の出馬を決めた。

制度の隙間に埋もれる人々

 これまで選挙に立候補してみて、日本の選挙制度に対する問題意識も持った。特に無名の新人にとって極端に不利な閉ざされた日本の選挙スケジュールに疑問を抱く。2021年の三重県知事選では、告示のわずか一週間前に出馬を決断せざるを得ず、実質10日程度の選挙活動しかできなかった。

 対照的に、ブラジルでは告示から投票まで約1カ月半の選挙運動期間がある。石川氏は「知名度のない人が選ばれにくい制度だ」と語り、少なくとも20日程度の活動期間があれば今よりも幅広い人材から政治家が選ばれる機会があると思う。

 前回の選挙では「ブラジル人」と記されて5万も無効票になった経験があるといい、漢字の名前よりもひらがなの方が覚えやすいのではないかなど考えを巡らせた。国籍や出自に対する偏見があるのも実感しているが、それでも「今日本人で、日本に尽くせているかどうかが重要だ」と語り、自身の出自を乗り越え、真に国と県に貢献したいという強い思いをにじませる。

 石川氏が目指すのは、開かれた政治だという。彼の出馬の動機は「今の日本を正しい軌道に戻したい」という切実な願いに基づいている。政治に対する違和感を覚えた者が、自ら行動を起こし、変革を目指す。その姿勢が原点だ。(続く)


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