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芸術フットボールを追い求めて=沢田啓明=第11回=日伯つなぐ三都主一家の挑戦

2025年8月6日

三都主アレサンドロと両親(提供:沢田啓明)
三都主アレサンドロと両親(提供:沢田啓明)

パラナ州選手権1部復帰を決めたガロ・マリンガ

 7月19日、パラナ州選手権2部の決勝第2レグが行なわれ、第1レグで引き分けていたガロ・マリンガ(本拠地マリンガ)がフォス・ド・イグアスを3-1で下して優勝。来季の州選手権1部昇格を決めた。

 創設からまだ5年足らずの若いクラブだが、アトレチコ・パラナエンセ、コリチーバといったブラジル有数の強豪クラブと対戦することになる。現在はまだ全国リーグ(4部まである)に参加していないが、州選手権で好成績を収めれば、全国リーグ参戦も可能になる。

 2020年末のクラブ立ち上げから関わり、現在はCEOを務めるのが元日本代表左SBの三都主アレサンドロ(48)だ。

クラブ立ち上げから関わる三都主

 日系人が多く住むマリンガの出身。父ウィルソンさんは、ブラジルの中堅クラブで長年プレーした元プロ選手。地元クラブのアカデミーでプロ選手を目指していたが、16歳だった1996年、サッカー部でプレーするブラジル人留学生を探していた明徳義塾高(高知)関係者から勧誘を受ける。

 当初、母マリアさんは「一人息子を地球の反対側に送り出すなんて、考えられない」と強く反対したが、「憧れのジーコが渡った日本で、僕もプロになりたい」と説き伏せて留学。言葉、文化、食事などの違いに苦しみながら、サッカー部で活躍した。

 高校卒業後の1997年、清水エスパルスへ入団し、左サイドのスペシャリストとしてスピードとテクニックを発揮してJリーグを席巻。1999年、史上最年少の22歳でMVPに選ばれた。2001年に日本国籍を取得して日本代表に選ばれ、2002年と2006年(この時の監督はジーコ)のW杯に出場した。

 浦和レッズ、名古屋グランパスなどでも活躍した後、2014年、「プレーしている姿を両親に見てもらいたくて」生まれ故郷マリンガのクラブでプレーし、2016年に現役を引退。「僕は、日本で選手としても人間としても大きく成長させてもらった。今度は自分が優れた選手を育成し、いずれは日本を含む世界各地へ送り出したい」という思いから、サッカースクール「インスチトゥート・アレックス・サントス」(三都主アレックス学院)を創設した。

 これと並行して、愛知県の会社の出資を得て2020年、マリンガでプロクラブ「アルコー・スポルチ・ブラジル」(注:「アルコ―」は日本語の「歩こう」に由来する)を創設。クラブカラーは黒で、「サムライ・ブラック」をニックネームとした。

 2021年、パラナ州3部に参戦して優勝。翌年には、州2部で準優勝して州1部へ昇格。2023年は州1部で12チーム中7位と健闘した。

「インスチトゥート・アレックス・サントス」(三都主アレックス学院、提供:沢田啓明)
「インスチトゥート・アレックス・サントス」(三都主アレックス学院、提供:沢田啓明)

資金提供打ち切り乗り越え運営を軌道に

 ところが、この年、クラブの母体となっていた愛知県の会社から資金提供打ち切りの通告を受ける。クラブ存続の危機を迎えたが、この正念場で三都主は「日本で培った忍耐力、粘り、大和魂」を発揮する。組織を株式会社へ変え、クラブ名を「ガロ・マリンガ」へ変更。昨年は州1部で最下位に沈んで降格したが、今年、州2部で優勝して1部復帰を果たしたのである。

 「サッカースクールは、市のプロジェット・ソシアル(社会貢献活動)に認定されて補助を受けている。優秀なスタッフもいるから、運営は軌道に乗った。スクールで育てた選手の中には、国内外のクラブで活躍している者も出てきた。いずれ、Jリーグにも選手を送り込みたい」

 「ガロ・マリンガは、これからが本当の勝負。戦力補強、スポンサー集め、アカデミーの運営など、やるべきことが山積している。とても忙しいけれど、すごく充実した毎日を送っているよ」

 清水エスパルス在籍中に知り合った妻直美さんとの間に、2男2女がいる。長男アラン君は3年前に静岡県の高校へ留学し、今年から群馬県の大学で体育学を専攻しながら祖父、父親に続く三代目のプロ選手を目指している。14歳の次男ルアン君も、ガロ・マリンガのU15でやはりプロ選手を夢見る。

 ブラジルと日本の両国にまたがる三都主一家の挑戦は、これからも続く。


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