マイゾウ・メーノス(まあーまあー)の世界ブラジル(35)=サンパウロ 梅津久
第27話―車椅子でブラジルへ戻る
4年ぶりの訪日で家内の実家から一歩も出ず、救急車に乗り、車椅子でブラジルに戻ってきた辛い旅行の思い出。
2006年の夏、4年ぶりの6月、成田空港は非常にまぶしく、また明るく見えた。
マナウスからサンパウロ、ロスアンジェルスを経由して約36時間に及ぶ飛行機の旅は長かった。成田空港から家内の実家のある相模原へは京成バスで町田まで行くのがお決まりのルート。
空港到着後、バスの切符を購入。時間に余裕があるのでロビーの二階に上がって遅めの昼食(何を食べたかは覚えていない)を済ませ、いざ出発。勇みこんでスーツケースを乗せたカートを押してバス乗り場へ。
カーブを取ったとき、スーツケースが落ちそうになり、思わず手を伸ばした。その瞬間に“ギク”とわずかだが痛みが背骨を走った。「イヤー、またやっちゃたかも」そう家内に云ってバスに乗り込んだ。もともと、時々ぎっくり腰を起こすタイプの私で、手を腰に当てて2、3日もすれば治ってしまう方であった。
実家に着いて、日本の美味しいご飯と好物のナス料理、新鮮な刺身をオカズに夕飯を食べ、気持ちの良い風呂に入って床に就いた。
疲れもあってすぐに眠りに就いた。だが、朝方5時頃に目がさめ起床。ズッキ、ズッキと背中が痛い。それでも用事があり相模大野へ。そして相模原の家内の姉の家によって帰宅し、昼寝の最中に背中に激痛が発生。家内に「背中が痛い」と云って、うつ伏せになったり横になったり、起きて座ったり。それでもどうしようもなく、まずは整形外科医に行くことを決め、家内が家の外へタクシーを呼びにいったが、いっこうに戻ってこない。しびれを切らした義母が民生委員の所に行き、車を出してもらうことにした。車に乗ろうとしたら「タクシーがつかまらない」と家内が泣きそうな顔をして戻ってきた。(ブラジルと違って、都心部以外では路上でタクシーを拾うことがほぼ不可能なことを始めて知った)
整形外科医でレントゲンを撮り、椎間板ヘルニアであることが解ったが、痛みがある内はなにも出来ないとその日は傷み止めの注射と飲み薬を処方してもらって帰ってきた。
それでも翌日、激痛は極度に達し、整形外科医で神経ブロックの注射(尾骶骨への注射。これがすごく痛く、看護婦さんに体を抑えられた)で傷みを抑えた。そして翌日も通院。日曜日は、医院が休みなので、救急車を呼んでもらい、寝間着姿のまま(着替えると緊急対応にならない為)、整形外科病院へ。生まれて初めて、それも遠いブラジルから来て乗った救急車であったが、何と親切な対応か。サイレンを鳴らしながら、数分ごとに声をかけ、どこに向かって、今どこを走っているか説明してくれる。病院でも何もすることが出来ず、痛み止めの注射と薬をもらってタクシーで帰ってきた。
それから毎日、痛みに耐えられず、2日に一度は神経ブロック注射をしてもらうありさま。このままでは保険も効かないので医療費がかさむし、他の治療も出来ないと判断。急遽、エアーチケットの日付変更をして1週間少しで帰国することに決めた。
この日付変更がまた大変で、エアーチケットを発給したマナウスの旅行代理店へ電話して、差額分を支払ってもらい、その支払い証明書をFAXで送ってもらう、それを飛行会社代理店で確認し、エアーチケットの再発給をしてもらうという結構厄介な手続きを踏まなければならなかった。
同時に各飛行場での車椅子の手配も行った。福島の実家の姪がせっかく予約してくれた飯坂温泉の旅館(私が結婚式の晩に泊まった)も泣く泣くキャンセルしてもらい、緊急帰国となった。
出発の朝、医院に行って神経ブロック注射をし、傷み止めの薬、座薬を処方してもらい、出入国時の手荷物検査対応のために医師の薬持参証明書を発行してもらっての帰国(飛行機の中でも6時間おきに座薬を入れて)となった。
この9日間の滞在中、唯一の外食は帰りの成田空港のレストランで車椅子に乗ったまま食べたにぎり寿司だけであった。
帰国時、タラップで飛行機を降りなければならない時は、リフター付きの車で降り、空港内バスも、車椅子専用のバンで移動してマナウスまで戻ってきた。
ブラジル帰国後、マナウス、サンパウロの整形外科、東洋生体医学などに検診してもらい、ノニなる薬草も飲んだが、これと云った効果はなかった。最終的には、地道なフィジカルセラピーを続け、自分でもジムでベルト歩行、自転車運動、自宅では健康ボールで腰部、脚部のストレッチを地道に続け、痛みを感じず歩けるまで回復した。
「自由に歩けることは、こんなにも素晴らしいことか!」と、身体を右に傾けて歩いていた時のことが嘘のように、真っ直ぐ腰を伸ばして歩けるようになった自分に驚いた。皆からは「手術したの、どこで?どうやって治ったの?」と聞かれるが、先ほどの自分の経験を語るだけである。
もう三度と(実は先ほどの治療の途中、回復し始めた時にゴルフに戻って、三カ月もたたないうちに、また腰が膠着し、身体が傾き、歩けなくなっている)再発したくないと、好きなテニスもゴルフも捨ててしまった。今は、時間を見つけてウォーキング、水泳とストレッチを続けて、再発防止対策をしています。数年が経過してからは好きなテニスで走り回れるまで回復した。
参考までに、私が受けたフィジカルセラピー(理学治療)の内容は、まず局部(傷みの部分)を氷で冷やすアイシング15分、その後すぐに超音波マサージ、次に熱線による温熱治療、続けて電磁による温熱治療、それぞれ15分ずつ。次に腰と脚部のストレッチを15分ほど行って、最後は局部の電気ショック(チリチリの電気ショックを受ける)15分で仕上げ。土日を除く毎日、約3カ月間行った。その後、少し歩ける様になってから、ジムで歩行運動(時速1~1・5kmくらい)、自転車運動、プールでの歩行運動などを地道に約3カ月位続けて回復した。