ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(262)
円売り
そして終戦二年後の一九四七年五月三日、いわゆる円売り事件が報道された。
前年の(日本での)新円切り替えで、価値を喪失していた旧円を売った人間が居り、警察沙汰になったのである。
それをポルトガル語の新聞が大きく報道、邦人社会…つまりコロニアは大騒ぎになった。しかも、これは以後数十年に渡り、尾を引くことになる。
ポ語新聞とはジアリオ・ダ・ノイテ紙で、記事の中には、邦字新聞の社長と銀行の前総支配人の名があった。
その記事によれば、サンパウロ新聞社長水本光任の紹介と立会いで、部下の桑原次郎(新聞社ではなく、水本が別に経営していた旅行社の従業員)が、岡田某に一、〇〇〇円を一万クルゼイロで売ったという。金額としては、さほど大きくはない。岡田某は新円切り替えのことは知らなかったのであろう。
この取引で警察が水本と桑原を引致した…という。
記事の末尾に取引の仲介人として南米銀行の前総支配人武田俊男の名が出ている。
新聞社の社長と銀行の前総支配人が、詐欺を働いたというのだから、コロニアは仰天した。邦字紙南米時事の表現を借りれば、
「巷の話題をかっさらった」
という。
ところが現実には、警察に引致された二人は、調書をとられただけで、釈放されてしまっている。
南米時事は五月五日の紙面で、
「嫌疑を受けて引致された者…(略)…は、すでに釈放されており、報道内容も種々その事実を再検討する必要がある」
「かかる行為は…(略)…法規には何ら抵触しないとはいっても無知な人々を食い物にする悪徳行為である」
と報じている。
別資料によれば、こういう行為を有罪化する法律がなかったというし、水本は「骨董品として売った」と警察の追及をかわしたともいう。
二日後の五月七日、邦字紙パウリスタ新聞が、改めてジアリオ紙の記事を日本語に訳して大きく報じた。ただ、人名は伏せ「邦字紙社長」「日系銀行総支配人」としている。(正確には、前総支配人)
この一件、法的にはともかく道義的には…特に新聞社の社長がやったとあっては…重大問題であった。
しかし水本は、その後もサンパウロ新聞の社長を続けている。
因みに、彼は三十代前半の若さであった。
筆者は、それから十九年後の一九六六年から、サンパウロ新聞で記者をした。社長は水本その人であった。
円売りのことは途中まで知らなかった。社内で話題になることもなかった。
水本は、世間周知の様に、怪物的な人物で色々な噂があった。が、内部情報を耳にすることはなかった。
水本は、その噂となった行為に関わった社員に対しても、ある段階で一線を引いて「ハイ、お前たちはココまで」と、それ以上は立ち入らせなかった━━と、ずっと後年、その社員から聞いたことがある。
筆者などは、社長とただの平記者の関係に過ぎず、一線を引かれるほどの存在ですらなかった。
ただ、外部からは、少なからぬ噂が耳に入ってきた。
武田俊男に関しては二〇一〇年二月、その娘の武田キヨミ・アウグスタを捜し当て、ジアリオ紙の記事のコピーを見て貰った。
彼女は「もう七十歳になりますのよ、私……」と言っていたから、事件当時は少女だったわけだ。が、記事の様なことは記憶になく、心当たりの親戚に問い合わせてくれたが「知らない」という返事だったという。
米国人と結婚、ウイルミルトンとサンパウロで、美容クリニックを営み、往復しながら仕事をしているという。
明るく活発な人柄であった。「決してウソは言っていませんノヨ」というその言葉に間違いないことは、直感で判った。
実は、ジアリオ紙は詳しいことは何も書いていない。無責任な記事の作り方である。
なお、この新聞は、戦時中の一九四三年七月六日の紙面で、
「三〇万の日本人が軍事拠点を占領して対ブラジル反抗運動を起こしている」
というバカバカしいほどのでっち上げ記事を掲載したことがある。(九章参照)(つづく)