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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(265)

2025年10月14日


ほぼ同時期、新たな説が、日本で発表された。十三章で名が出たが、猪股嘉雄という戦勝派の生き残りが、月刊誌『潮流』に連載方式で、

「海外在住日本人昭和史 勝組国外追放事件」

という原稿を寄稿、その中で円売りを取り上げたのである。

この記事では、

「巨額の円が日米開戦の直前、米政府による資産凍結の気配を察し、在米国の日本商社・銀行の社員によって。ブラジルに持ち込まれた。

が、ブラジルも日本と国交を断絶したため、円は当時邦人社会の指導者格であった宮坂国人、宮腰千葉太、山本喜誉司に託され、後に邦人に販売された」

ということになっている。

水本も、その一味とされている。

さらに猪股の理解者で、東京在住の著述家・出版業者の玉井禮一郎が、一九八四年三月から、国会タイムズという出版物で『ブラジル勝ち組事件の真実』と題する記事の連載を始めた。その中で、猪股と同じ説を唱えた。

国会タイムズに書いたのは、水本が日本の国会議員の間に、人脈を持っている点に着眼してのことであろう。

ところが、連載は、途中で打ち切られた。「もう、この辺でいいだろう」とその発行者は言ったという。

裏で何かあったことを想像させる言葉である。

同年五月二十五日、フィゲレード・ブラジル大統領が東京を訪れた。その時、玉井は直訴して(十三章で触れた)戦勝派の人々に関する行政上の未解決問題の善処を求めようとした。

これは結局、直訴状の送付に切り変えたが、その主張の一部を読売、朝日などの大新聞が取り上げた。無論、大統領の訪日と直訴の組合せが、記者の興味を引いたからであろう。

続いて玉井は、同年十一月二十五日、著書『拝啓 ブラジル大統領閣下』を、東京で出版した。円売り問題が中心テーマになっており、水本を標的にしていた。

なお、玉井は昔ブラジルに住んで、サンパウロ新聞の記者をしたことがあった。日本へ帰国後は同紙の東京支局に居った時期もある。が、水本との関係は、その後こじれていた。

『拝啓…』は、明確にブラジルのコロニアの読者を意識しての出版であった。

対して、水本は出版直前、二十一日、サンパウロのアクリマソンの自分の大邸宅に、フィゲレード大統領とコロニアの著名人を招き、盛大なパーテーを催し、世間をアッと言わせた。

猪俣・玉井説を含め、長年続いてきた多くの水本批判を十把ひとからげに吹き飛ばそう━━とする水本流反撃であったろう。

右の玉井書は、コロニアでは、社会問題として表面化されることはなかった。無論、水本が健在である以上、できないということもあったろう。

それと、円売り陰謀の元凶を宮坂、宮腰、山本とした点が、余りにも非現実的で、実感が伴わなかったことにもよろう。

猪股も、翌一九八五年、『潮流』の連載記事を、単行本『空白のブラジル移民史』にまとめて、東京で出版した。が、サンパウロでの反応は同様であった。

ただ水面下では━━前記のビデオ・カセットと共に━━消息筋の間では種々話題になった。また、非常に貴重な資料も盛り込まれている。筆者も、この拙稿で、猪俣の記事の一部を利用させてもらっている。

ただ、円売りに関しては、筆者の観方は全く異なる。

円売りに関する二人の説を、もう少し詳しく記すと。━━

前記の宮坂、宮腰、山本の三人は、米国の日本商社・銀行から、巨額の円を託されたが、異変が起こった。

一九四二年十一月六日の東京ラジオで、東條首相の演説として「海外にある日本紙幣は、国内への流入はいっさい認めない」旨、放送されたのである。

そこで三人は驚いて、それを戦中・戦後、邦人社会の有力な商人や川崎三造ら詐欺師を使って(放送内容を知らぬ同胞に)売り捌いた」

終戦後三人は敗戦認識運動の指導者となったが、裏で戦勝説を流しつつ売り続けた。

その円は、日本の敗戦と翌年の新円切り替えで、さらに無価値なものになっていた━━。

この説では、当時、コロニアに存在した円は一億円と推定されている。(つづく)


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