《寄稿》日本人の美意識は=「箸作法」に極まれり=サンパウロ市在住 毛利律子
昼食時に盛り上がる「箸」談義
和食は、2013年にユネスコ無形文化遺産に登録されたことにより、それが国際的な評価と人気を一層高める契機となった。
ブラジルでも「日本食=ヘルシー」というイメージが浸透して、リベルダーデの日本食品店には食材を求める人々が長蛇の列を成し、様々なイベント、祭りで展開される日本食ブースの前は大賑わいである。
パウリスタ大通り付近の高級日本食レストラン店内で、多くのブラジル人客が、危なっかしそうに箸を操り、楽しそうに食事をしているのを見かけるのは日常の風景となった。スキヤキ、テンプラ、テリヤキ、寿司、焼き鳥、ラーメン、焼きそば、てっぱん焼き、お好み焼きといった料理言葉は新語となって世界的に通用している。
かつては「生魚を食べる日本人」と気味悪がられた「さしみ」だったが、今ではそれを美味しそうに頬張る外国人の、何と多いことか。今では、生魚はタンパク質が豊富で、低カロリー。健康ブーム時代の代表格である。
さらに、日本食の魅力は、芸術作品のような料理の盛り付けや、食器の美しさ、客の目の前で寿司を握る男前な板前の手さばき、行き届いたウェイトレスの気づかい、店内の飾りつけや調度品の配置などにもある。至る所に工夫が凝らされ、客を歓待する気持ちが溢れている。
大勢のブラジル人客で賑わう寿司店でも、板前と客との、カウンター越しのやり取りは活気にあふれている。ひっきりなしに注文の声が飛ぶ。ウェイトレスやウェイターがテーブルの間を縫うようにして動いているのを見ると、注文した寿司がなかなか届かないのも仕方がない。
効果的な「箸の使い方実演コミュニケーション」
異文化の国で日本食について最も盛り上がる話のネタと言えば、「箸の使い方実演」だ。箸を持ってあの手この手で、つたないポルトガル語を寄せ集め、いかに効果的に伝えられるか。それには、実演コミュニケーションが良い。ブラジル人は聞き上手な人が多く、反応も素早くて、箸談義は大盛り上がりとなるのである。
中でも日本語のように、漢字、カタカナ、ひらがな、ローマ字とたくさんの表記がある言語では、言葉だけでの説明は苦戦となる。
「箸」と「橋」にアクセントの違いがある?
この質問は、日本人でもハタっと戸惑うのではないか。外国語のアクセントと違い、日本語は「どこを高く、どこを低く発音するか」という「高低アクセント」なので、その違いは言葉に続く助詞を付けると良く理解できるかもしれない。
例を挙げると、箸は、「は」を強く発音する。「これが私の箸(○は・し)です。橋や端は「し」を強く発音。「あの橋(は・○し)は長い。「行列の端(は・○し)にいる」などなど。
箸の数え方
2本1組で使用される箸の数え方は一本・二本とは言わない。 「一膳」、「二膳」が一般的で、その他にも「一揃」、「二揃」、また、「一具」、「二具」、といった数え方もある。
箸の種類
さて「箸作法」は日本の茶道、茶懐石の約束事に非常に深く凝縮されているという。確かに、箸の文化を再考すると、歴史は縄文時代にさかのぼり、箸の作法には実に奥深い日本人の美意識が潜在していた。
日本のデパートの和食器の売り場に行くと、まるで芸術品のような「箸」が、端然と並べられている。その中でもひときわ目立つのは、やはり、茶懐石などで使われる杉木地そのままにすっきりと柾目を通した「利休箸」である。
店員の明解な説明によると、懐石の箸は、長さ25・5センチ、中央部分が8ミリの幅広、全体を面取りして上下を細く切る。杉だけでなく、その時の季節に合わせて、萩の枝、梅の枝を削ることもある。
塗り箸には、輪島、若狭、飛騨、津軽など、細かい職人の技が施され、目で楽しみ、使って満足という贅沢なものである。
竹製の箸では、魚の骨やカニの身をほぐすのに、最も使い勝手が良いと、たくさんの美味しい話を聞かせてくれた。
その販売の婦人が特に強調して語ったのは、箸の使い方である。この頃は、外国人だけでなく、日本人も箸の使い方に疎い人が多く、日本の繊細な食文化を台無しにしてしまう、ということで「箸の使い方パンフレット」を手渡してくれた。
箸の使い方に厳重注意
そこにイラスト付きで紹介されていたのが、「してはいけない箸・嫌い箸(忌み箸・禁じ箸)」であった。それは次のようなことである。
・箸から箸へと食べものを運ぶこと(移し箸)
・箸をなめること(ねぶり箸)
・相手に箸を向けること(指し箸)
・箸で料理を突き刺すこと(刺し箸)
・汁物や飲みもので箸を洗うこと(洗い箸)
・料理の上で箸をさまよわせること(迷い箸)
・器の上で箸を立てて箸先をそろえること(そろえ箸)
他にも、渡し箸といって、食事の途中で箸を小皿や小鉢などの器の上に橋のように渡して置くことで、マナー違反とされている。
もろおこし箸というのがある。それは、器と箸を同時に持ち上げること。正しい作法では、まず両手で器を持ち上げ、左手に乗せてから、右手で箸を取るのが正しい。
また、仏盛りというのがある。それは、亡くなった人の枕元に供える「枕飯」の盛り方の一つで、炊きたてのご飯を碗に山盛りにし、その中央に箸を垂直に立てることである。日常のご飯時に決してしてはいけないことと、昔は厳しく教えられたものだ。
箸でお骨を拾う
最も嫌われるのが、拾い箸(合わせ箸)であろう。それは、遺族が2人1組になり、火葬されたご遺骨を骨壺に入れるために、箸から箸に渡して拾うことである。これが元となり、互いの箸で料理を受け渡すことは、食事の席ではひどく怒られることになる。このことを外国人に説明した時のことであるが、西欧やブラジルの場合も、火葬のお骨はパウダー状にするので、この意味は、なかなか理解しづらい風習のひとつであろう。
などなど「嫌い箸」は総計50種以上にも上るが、すべてに共通するのは、箸は神様に備えた料理を差し上げるための道具だったことから、より丁寧にお箸を使うための戒めである、ということを添えて実演の締めにすることが大事である。
「箸」の歴史
「箸」は茶碗や皿といった食器ではなく、口に食物を運ぶ用具の種類
箸を使う習俗は日本、漢民族、朝鮮民族に通用し、世界では、手づかみで食べることが一般的である。ヨーロッパ、中東、インドなど世界の大半で、主食のパン類は手を使う。東南アジアからアフリカまで米を手でつまみ、宗教によっても、手を使って食べ物を口に運ぶ文化は、世界中で広まった習俗である。ヨーロッパを中心に使われているフォークなどは意外に新しく、17世紀に始まった。
箸を使う文化は中国が発祥といわれ、その中国と文化的なかかわりを持った国々、つまり、日本、朝鮮半島、ベトナムなどに伝わり、また華僑(外国に居住する中国人)によって世界に広まっていった。
日本での箸の歴史は古く、「古事記」にも登場する。スサノオノミコトが肥の川(島根県斐伊川)の上流から箸が流れてくるのを見て川をさかのぼり、櫛名田比売に会ったという神話は有名である。その時の箸は、ピンセットのような一本箸であったといわれ、今日でも、天皇の大嘗祭などで使われることから、日本古来の箸であったといわれている。二本箸が一般的に普及したのは奈良時代であった。
鎌倉時代には、源頼朝に追われた義経が吉野山に逃げ込んだ時、上流から多数の箸を流して、自分の軍勢が強固であることを示した言い伝えがある。その箸が見つかった場所にかかる橋を「千本橋」と呼ぶ。「箸」と「橋」とはここからあちらへ渡すという、同じ意義を持つ言葉であることも伝わっている。
連綿として続く日本の古くからの風習には必ず箸が添えられる。「命の糧」を運ぶ箸には神が宿り、それを共に頂くことから、新たな霊力を得るという思想に基づき、そのために新たに箸を作る。神事に際して箸を新しく作る事は、現代にもその風習が残り、新年のおせち膳には、奉書で包み紅白の水引を掛けた、両口の柳箸を置くところに残っている。
両口箸とは、両端が細くなっている箸を指し、これは、一方は人が食事をするため、もう一方は神様が食事をするために使うという「神人共食」の考え方であるが、今日でも、私たちは祝いの席で何気なく両口箸を使っている。
その伝統は「直箸」を嫌い、浄めを大切にすることから長い菜箸を使うことにも表れている。日本の正月ではおせち料理を重箱に詰めるが、それには、箸袋に鶴亀や松竹梅の柳箸でできた菜箸を添えて出す。「重箱の中の料理は、この取り箸を使って取ってくださいね。自分の箸で取ってはいけませんよ」という意味で、この取り箸で一人ずつ料理を取った後は、取り箸をよく拭いて袋に戻すというのが礼儀である。
そもそも、古い時代は、神事に限らず仏事においても、用意する箸は一回限りに使う物であった。現代人が日常で使う箸を洗いなおして使うようになったのは、近代のように高級な漆塗りの箸を日常的に使えるようになってからである。親子といえども共用しないのが原則で、ましてや来客には使用前の新しい素木の箸を提供しなければならない。
割り箸は自然を破壊するか
今や、大盛況の外食産業、イベント会場では割箸の需要が急増し、国内だけでなく世界各国で使われている。
割り箸は、1回限りで大量に捨てられているので、イメージとして、自然破壊につながる元凶のように言われて久しいが、それでは、地球環境保護のために、割り箸に代わるものがあるだろうか。
日本では、割り箸はもともと吉野杉を用いた酒樽の余材や杉の間引き材を使った廃物利用品であった。昨今は酒樽の生産は限られ、杉林の間引きをする人もなくなり、急増する割箸の需要に代わるものはないという。日本の割り箸作りは森林資源の再利用であり、伝統的に木片の箸は使い捨てであったことを前提として、日本人特有の清潔感に支えられて日本文化の一つの象徴的存在である。高級割り箸は、形も意匠を凝らした箸袋に収まって販売されている。
割り箸の魅力
箸を使う文化圏の中でも、割り箸に至るまで美しい箸を日常的に使う国は日本をおいて他にない、というのが定評である。
料理人の感性は、割り箸をも日本料理の一部にする。それは箸袋にも表れている。紙質が良く、美しくデザインされた割り箸が添えられることによって、まさに日本料理となるから不思議である。これほどに割り箸は料理の引き立て役目を果たしている。
さて、割り箸と自然破壊の関連については、個人的意見としては、次の説を支持している。
「国産の割り箸は本来捨てられるはずだった間伐材や、木の端材を利用して作る『環境に優しい製品』である。そして、木材は理論上、使用後に焼却しても有毒ガスや二酸化炭素を増加させないうえ、堆肥化もできる」
「西洋人は木で橋を作り、日本人は箸を作る」と日本人の細かさを皮肉った話があるが、そこまで言うなら「割り箸の割り方にも作法があるぞ」と話題を広げてみてはどうか。割り箸を捨てずに、それで大阪城を作ったとか、手際のよい手品とか、なかなか味のある「箸遣い」の名人が登場して、場が盛り上がるのは間違いない。









