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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(306)

2025年12月12日


積極果敢な事業展開

 

病院だけでなく、コチアはこの一九六〇年代、積極果敢な事業活動を展開している…観があった。

北パラナでは次々と新しい事業所を開設、南パラナ、マット・グロッソ州南部(現南マ州)にも前線を伸ばした。

サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロ両州で営農団地を造成した。

グループ会社CODAIを発足させた。

これは、いわゆるホールデイング・カンパニーで、新社会構築のための会社設立や関連事業への出資を目的としていた。

組合員、同家族、組合職員数千人が株主となった。

このCODAIが食鶏処理、搾油、製茶、種子生産…のための会社を各地に設立した。

保険会社まで所有した。

その他、葡萄酒の醸造など多数の事業に出資した。

教育面でも、米国農業の実習のため、組合員家族の若者一〇名をカリフォルニアに派遣した。さらに他の組合と協力、国際農友会を発足させ、研修の対象を広め、規模を大きくした。

前項を含めて、これらの事業展開は、下元の唱えた「産業、経済、教育、衛生、その他百般の事業を産組が統括、経営せよ」の実践であった。

コチアはダイナミックに前進している──というのが、外部に与えたそのイメージだった。輝いて見えた。

 

一枚岩ではなかった経営陣

 

しかしながら、右のコチアの一九六〇年代の外観のかなりの部分をハッキリ否定する人がいる。

例えば、当時、組合本部の中枢近くで勤務していた元職員は、

「経営陣は一枚岩ではなかった」

と明言する。

ゼルヴァジオとファビオの名コンビ説など、一笑に付す。実際は、その逆であった、と──。

筆者が、この話を聞いた時は、ゼルヴァジオは故人になっていたため、本人には確認できなかった。が、夫人に訊ねてみると、首を激しく横に振り、笑って、名コンビ説を否定した。

コチアの経営は、古くから、実務上の権限が専務に集中する仕組みになっていた。勿論、重要な事項については、理事長の承認を受けて進めたわけであるが…。

しかし二人の場合、息が合わず、互に不満が残り、それが蓄積されて行った。

ファビオは六八年、専務職を離れ、新設の職制である副会長になっている。

後述する流通税対策に専念するため…ということであった。が、一年ほどで辞めて、サンパウロ市庁の配給局長に転じた。数カ月後、連邦政府の商工相に招聘された。が、それも短期間で退いた。

その時、一部でコチアへの復帰に関する話も出た。が、実現しなかった。内部に、これを阻む動きがあったという。

副会長への異動、辞職、復帰阻止…いずれもゼルヴァジオと不仲であったとすれば、釈然とする。

話は、やや逸れるが「安田商工相」は、日系初の大臣誕生であり、コロニアは大騒ぎして喜んだものである。その時、

「ゼルヴァジオには、以前、農務長官(州)や農務大臣の声がかかったが、二度とも、私には下元健吉から託されたコチアを守るという使命があると断った」

というカッコよい噂が流れた。

後日、本人に確かめると、

「革命政権下だ。いろいろな事があるサ」

と、面白くもなさそうに呟いていた。

それはともかく、コチアやその経営者は、いつの間にか、そこまで社会的ステータスを高めていたのである。

 

「歯を食いしばって…」

 

一九六八年、ファビオの後を継いで、専務になった谷垣皓巳とゼルヴァジオの間でも、葛藤があったという。

これはコチア青年の事例を上げて、説明すると判り易い。

以下しばらく、話の時期は、一九五〇年代後半に戻る。──

前章で既述の、五七年の六人の不適格者の日本送還の後、一青年がパトロン(雇用主)を、その妻と共謀して殺害、死体を隠匿していた(!)という事件が発覚した。

下元没後のことであるが、これは、組合そのものを愕然とさせた。

この殺人事件、よく調べると、むしろ、その青年の方が被害者ではなかったか…と思われる節もある。が、発生時は、そこまでは誰も気づかなかった。

ために組合内部では侃々諤々、日本からの青年導入の可否が論ぜられ、中止を主張する声が高まった。

この時は、移民課長の山中弘が必死の抵抗をし、結局、継続ということになった。

が、以後、職員の中では最高幹部(部長)の一人谷垣が、山中を目の敵にするようになる。

谷垣は、戦前からの古参の一人である。コチア青年の導入は、下元がやったことであり、その生前は表立って批判することはなかった。

しかし死後は、導入継続には、

「絶対反対」

を主張し続けた。

対して、ゼルヴァジオは、性格的に受け身タイプで、強い意思表示をする方ではなかった。また確たる理念や構想を主張しながら、経営を牽引して行くということもなかった。

ただ、下元健吉の遺志に忠実であろうとしていた。コチア青年に関しても、そうであった。(つづく)


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