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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(310)

2025年12月18日


何故こんなことになったかというと、六七年一月より商品流通税=ICM=というものが施行されたためである。

これは州税であるが、総ての商品に課せられ、農産物も含まれた。

農産物の税率は、仕切り価格に対し一五㌫で、納税者は農業者であった。

流通税が実施され始めると、仲買商はノッタ・フィスカル(税務処理用伝票)を切らず取引、一五㌫を農業者と分配するという方法で彼らを引きつけた。

脱税であるが、取締まりは困難だった。

組合は、脱税には手を出せない。

ともかく、組合にとっては大変な裏切り行為だった。コチアでは理事会が激怒して同年九月、これを表面化、十カ条の鉄則なるものを決定した。

「抜け売りをした場合、その組合員の以後の生産物は受け付けない。営農資材の貸付けもしない。銀行融資の保証も拒否する」等々の内容であった。

スールも抜け売りの防止に懸命になっていた。

ともかく総ての組合が、経営を大きく狂わせた。

ために連携して免税運動を起こした。これは翌年四月に至り、ほぼ実現した。が、その間に受けた大打撃の後遺症で、解散に追い込まれる組合すら多数出た。日系からも…。

ともかく組合にとっては歴史的な悪夢だった。

なお、この流通税に先立ち六六年、協同組合法が改められ、広域で事業を行う組合は、分割されることになった。

これも余計なことで、該当する組合を苦しめた。が、止むを得ず、コチアの場合、八地方に分割、そこに一つずつ組合=単協=をつくり、それを統括する中央会を設けた。

八地方とはサンパウロ近郊、サンパウロ州北部、同西部、同南西部、パラナ州北部、同南部、リオ・デ・ジャネイロ州、マット・グロッソ州南部である。

中央会はサンパウロの旧本部に置いた。(理事長という呼称は、この時、会長と変わっている)

なお、スールは当時四十九カ所に増えていた出張所を、四十の単協に組織変えし、中央会を旧本部に置いた。

コチアが八単協でスールが四十単協というのは、一見おかしい。が、コチアの場合はサンパウロ州の北部とか南西部とか、広域にわたる地方単位で単協を組織した。スールの場合はムニシピオなど地域を単位としていた。

しかしながら、この中央会・単協制は、業務の二重構造を生み、無駄な経費の垂れ流しが続いた。

ために単協の資産と業務を中央会へ移管するという方法で解決しようとした。が、実現は一九七〇年代になる。

ともかく革命政権下の新政策は、非現実的で的外れなことが多かった。

付記しておけば、六八年、ブラジルの正式国名が変わっている。それまでは「ブラジル合衆共和国」であったが、これが「ブラジル連邦共和国」となり、以後は単に「連邦」と表現される様になった。


病院建設、中止


奇態な現象は、未だ起こった。

コチアの病院の開院中止、建築済みの病舎の売却──である。

これは、既述の様な理由で、有りうべからざる大事件であった。何故そうなったのか。

直接的には、建設の主たる財源としていた「委託販売税の五〇㌫払戻し」制度が廃止されたことにあった。

委託販売税とは「組合が組合員から出荷される生産物を販売して得る手数料収入」に課せられていた州税である。

が、商品流通税が新設された時、廃止された。自然、払い戻しも無くなってしまったのだ。

そのほか建設工費も、インフレで膨らんでいた。

ために工事をストップしたり、なんとかやりくりして再開したりしていた。

開院後の要員として、二〇人以上の若い女性に、奨学資金を出して看護婦学校へ通わせてもいた。二年間のコースであった。

一九六九年十月。

建物がようやく完成、後は内装と医療機具の購入…という段階まできていた。翌年一月のイナグラソンも決まっていた。

ところが、そこで資金が底をついた。

医療器具は、極めて高額である。

頼るとすれば、組合員しかない。無論、重い負担となる。

この時、北パラナ単協を率いる小笠原一二三理事が、強硬に開院中止、売却を要求した。

それを理事会は、結局、受け入れてしまったのである。

なんとも理解し難いドンデン返しだが、そこに至る経緯は長い。

ここで話の時期を、また一九五〇年代に戻す。

北パラナに、コチアが事業所を開いたのは五四年のことである。場所は、新興都市ロンドリーナであった。(つづく)


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