分岐点に立つブラジルと共に=ベネズエラ侵攻で揺れる中南米=丙午2026年を占う《編集長コラム》
10月の大統領選で問われる財政規律
ブラジル国内における今年最大の焦点は、10月に実施される大統領選挙および連邦議会選挙だ。政権選択の結果は、財政運営、規制政策、環境対応、対外関係に直結する。市場はすでに、候補者の経済政策スタンスを冷静に織り込み始めている。
伯国経済は、インフレ率の沈静化と金融引き締め局面からの転換点に差しかかっている。金利引下げを巡って中央銀行の独立性が維持されるかどうかは、内外の投資家にとって最大の関心事だ。仮に新年早々から金利低下が進めば、個人消費や設備投資の回復が見込まれる一方、財政規律が緩めばインフレ再燃の懸念も拭えない。2026年は「金融政策と財政政策の協調」が真に試される年となる。
とりわけ重要なのが新財政枠組み(novo arcabouço fiscal)の運用だ。選挙を控え、左派政権による歳出拡大圧力は避けられないが、短期的な人気取りが中長期の信認を損なうならば、その代償は大きい。伯国が過去に何度も経験してきた「選挙後の調整局面」を繰り返すのか、それとも制度的成熟を示すのか。内外の目は厳しい。
産業構造の面では、農業・資源輸出の競争力が引き続き経済を下支えする。一方で、付加価値産業やデジタル分野の育成は道半ばだ。2026年は、COP30で重要な議題となった脱炭素や環境規制を制約と見るのか、成長機会と捉えるのか、その姿勢が明確になる。アマゾン保全を含む環境政策は、もはや外交カードではなく、貿易・投資の前提条件となっている。
前述のように、伯国の国際関係では米国、中国、欧州との距離感が引き続き調整局面にある。米中対立の長期化は、ブラジルにとって選択の自由を広げる一方、曖昧な立ち位置がリスクとなる可能性もある。日本との関係においてはインフラ、エネルギー、食料分野での協力余地は大きいが、その前提となるのは制度の安定と法の予見可能性だ。
揺れる中南米全体
中南米の不安感を決定的に増幅させたのが、1月3日に実行された米軍による対ベネズエラ軍事行動だ。米国は限定的な措置と説明するが、歴史的に植民地として収奪されてきた被害者意識の強い中南米では、「侵攻」との認識が支配的だ。
冷戦期に繰り返された南米での軍事政権樹立などの内政干渉や軍事介入の記憶が呼び覚まされ、主権侵害への警戒感は急速に広がった。新モンロー主義が経済や移民政策にとどまらず、再び軍事力を背景とする支配構想へ転化するのではないか――その疑念は、地域全体の対米不信を深め、中南米を再び緊張の連鎖へと引き戻しつつある。
トランプ政権下で再浮上した「新モンロー主義」は、19世紀の原型とも、冷戦期の対共産圏政策とも性格を異にする。かつてのモンロー主義は欧州列強の介入排除を掲げ、冷戦期にはソ連封じ込めの文脈で中南米が位置づけられた。
これに対し、新モンロー主義は、軍事同盟よりも経済・移民・資源・供給網を軸に、中南米を米国の戦略的後背地として再編しようとする色彩が強いと思われていた。だが、今回のベネズエラでは軍事力が発動された。
とりわけ移民問題は、米国内政治と直結する争点であり、米国政治の「分水嶺」とも言われる11月の中間選挙を前に、中南米諸国への圧力が強まる可能性がある。国境管理、治安対策、経済支援を梃子に、各国の政策選択に影響を及ぼす構図は、従来以上に露骨になる局面も想定される。中南米が自律的な政策空間を維持できるかどうかは、各国の制度的成熟度にかかっている。
拡大する中国の存在感
一方で、この新モンロー主義が前提としているのが、中国の存在感の拡大だ。中国は過去20年で、中南米における最大級の貿易相手国・資金供給国の一つとなった。アルゼンチンや伯国では農産物・鉱物資源、チリやペルーでは銅、ボリビアではリチウムを通じて、中国資本は深く浸透している。さらに港湾、電力、通信といったインフラ分野への関与は、単なる経済関係を超えた戦略的意味を帯びつつある。
米国にとって問題視されているのは、こうした中国の関与が「市場原理」ではなく、「国家主導」で進められている点だ。中南米諸国にとっては、短期的な資金調達や輸出拡大の機会である一方、長期的には債務依存や技術主権の問題を抱え込むリスクもある。
新モンロー主義は、こうした中国の影響力拡大に対抗し、中南米を再び米国主導の経済圏に引き寄せようとする試みと位置づけられる。
しかし、現実は単純ではない。中南米諸国の多くは、米中のいずれか一方に全面的に与する余地を持たない。むしろ両大国の間で選択肢を確保し、自国の交渉力を高めることが合理的な戦略となる。その意味で、2026年は中南米が「地政学の受動的対象」から「能動的な調整主体」へ移行できるかどうか、高関税で脅される弱い立場から〝漁夫の利〟を得られる強かな立場になれるかを測る年でもある。
伯国にとっても、この米中間の緊張構造は無関係ではない。中国は最大の貿易相手国であり、同時に米国は金融・技術・安全保障面で不可欠な存在だ。新モンロー主義が強まるほど、伯国の外交・経済戦略には一層の巧妙さが求められる。制度の透明性と法の支配を堅持できるかどうかが、外圧を受け流すための最大の防波堤となろう。
中南米が再び大国間競争の舞台となるなかで、最終的に問われるのは各国の制度的耐久力だ。新モンロー主義も、中国の経済進出も、それ自体が決定的な運命をもたらすわけではない。選択を意味あるものにするかどうかは、各国が自らの制度をどこまで信頼に足るものとして維持できるかにかかっている。
ブラジルも日本も米国とどう付き合っていくのかが問われる
ルーラ大統領は米軍のベネズエラ侵攻直後、次のような声明を発表した。
《ベネズエラ領内への爆撃および同国大統領の拘束は、決して容認できない一線を超える行為である。これらの行為は、ベネズエラの主権に対する極めて深刻な侵害であり、国際社会全体にとってきわめて危険な前例となる。
国際法を明白に踏みにじり、国家を攻撃することは、暴力、混乱、不安定が支配する世界への第一歩である。そこでは多国間主義が後退し、「力を持つ者の論理」が国際秩序に取って代わることになる》
そこには、国際秩序が再び「力」によって書き換えられつつある現実への、南半球からの深刻な警告が込められている。
ルーラ声明が強調する「多国間主義の危機」は、日本外交にとって特に重い意味を持つ。国連、WTO、G7、G20といった枠組みは、日本が「軍事力ではなく制度」で影響力を発揮してきた主要な舞台だからだ。
もし大国が、国連安保理や国際合意を迂回し、事実上の既成事実を軍事力で積み上げる世界が常態化すれば、日本の外交的選択肢は著しく狭まる。ルールなき力の競争は、地理的にも軍事的にも制約の多い日本にとって、最も不利な環境だからだ。
日本は、武力行使を抑制する国際環境のもとで、経済と外交を積み重ねてきた。その前提が揺らぐとき、日本は単に安全保障上の対応を強化するだけでなく、どのような国際秩序を支持するのかという価値判断を迫られる。
ルーラ声明は、世界が「力の時代」へ回帰する瀬戸際にあることを示している。その中で日本が取るべき道は、米国追随でも外交孤立でもない。むしろ国連、G20、グローバル・サウスとのより密なる対話を通じ、法と制度を守る側に立ち続ける意思を明確にすることではないか。
感情的な分断が深まる時こそ冷静な分析を
2026年は、スポーツの祭典や文化行事が社会の緊張を和らげる一方、国際問題や国内の政治・経済の現実から目を逸らすことはできない年でもある。サッカーW杯イヤーとしての高揚感が、一時的に消費や国民心理を押し上げる場面はあっても、地政学的な課題や、国政の構造的課題が解消されるわけではない。
本紙は本年も、ブラジルを中心に中南米全体を俯瞰し、短期的な動きに流されることなく、制度とデータに基づく報道を積み重ねていく。感情的な分断が深まる時代だからこそ、冷静な分析と比較の視点が求められる。
2026年が、中南米にとって信認回復への一歩となるのか、それとも試練の年として記憶されるのか。その分岐点に立つ今、読者の皆さまと共に考え続ける一年としたい。(深)









