ペデレイラ文協、創立70周年祝う=歴代会長5人に感謝状贈呈

サンパウロ市近郊マウア市のペデレイラ日伯文化協会(村上アンドレ光明(みつあき)会長)は11月20日、同協会創立70周年記念式典を同会館にて開催した。新型コロナ感染再拡大を受け、外部招待者は呼ばず、協会関係者約60人で節目を祝った。
村上会長は「パンデミックの2年間、全然活動ができなかった。今年ようやくヤキソバ会を3回やり、『来年にした方がいいのでは』という声もあったけど、今なら何とかなると思って式典をやることに急きょ決めた。40日ぐらいで準備を進められたのは婦人部のおかげ」と明かした。
式典は日伯両国歌斉唱に始まり、来賓祝辞として桑名良輔在サンパウロ総領事からのメッセージが日本語とポ語で司会者によって代読された。出席者は両語で挨拶文を準備してくれた総領事の心配りに拍手で感謝した。
歴代会長の永山喜代司、重岡寛治、村上清治、松村一友、櫛田セルジオ氏へ、永年の貢献に対する感謝状と記念品が贈呈され、会場からは労いの拍手が送られた。
日本語学校開校70周年、青年会発足60周年も祝わった。
会員らは相互の繁栄、会の発展を祈念した後、婦人会手製の軽食を取りながら親交を深めた。
マウア市はサンパウロ市の東南40キロほどに位置し、移民初期には沖縄出身者が多く移住した。沖縄からの移住者は主に農業を営み、サンパウロ市への野菜の出荷を手掛けていた。その後、他県人も肥沃な土地を求めて、同地に入植するようになり、日系社会が築かれていった。
同文協は、終戦まもなくの1952年に発会し、日本語学校や婦人会、運動会、ヤキソバ会などの活動を行ってきた。青年会には一時、40~50人の会員がおり、活発な活動で文協を支えた。現在はパンデミックを機に活動休止となり、再開のめどはたっていないという。
村上会長によれば、日本語学校には7~8年前までは60人もの生徒がいたが、パンデミックで活動は中止となり、周辺治安の悪化もあることから、活動再開が危ぶまれているという。