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ロベルト・ジナミチが死去=国内の通算得点記録保持者

2023年1月10日

ジナミチ(自身の公式フェイスブックより)
ジナミチ(自身の公式フェイスブックより)

 全国選手権の通算最多得点記録を持ち、ブラジル・サッカー史上に残るストライカーだったロベルト・ジナミチが8日、直腸癌のため亡くなった。68歳だった。8、9日付現地紙、サイトが報じている。
 ジナミチことカルロス・ロベルト・デ・オリヴェイラは、1954年4月にリオ州ドゥケ・デ・カシアスで生まれた。
 15歳で地元リオ州の名門ヴァスコ・ダ・ガマの下部組織に入団した彼は、17歳でプロ契約。新人年だった1971年11月の全国選手権対インテルナシオナル戦で相手ゴールの網を突き破る強烈なゴールを決めたところ、スポーツ紙が「ダイナマイト・シュートが炸裂」と騒いだことから、登録名がダイナマイトのポルトガル語であるジナミチとなった。
 そこからジナミチはヴァスコのエース・ストライカーとなり、ヴァスコの1974年の全国選手権、通算5度のリオ州選手権優勝に貢献。全国選手権では74、84年に2度の得点王。同選手権の最優秀選手1回、次点3回と輝かしい成績を残した。
 1978年のW杯ではセンター・フォワードのレギュラーとして出場。3得点を記録し、ブラジル代表の3位に貢献した。ジーコやソクラテスなどの「黄金カルテット」が話題となった82年のW杯でも、試合には出ていないがベンチには入っていた。代表での通算得点は26点。また、1980年には短期間ながら当時としては例の少なかった欧州移籍を果たし、FCバルセロナに在籍した。
 バルセロナへの在籍中と、現役晩年のポルトゲーザやカンポ・グランデへのレンタル移籍を除き、38歳となる1992年まで、一貫してヴァスコでプレー。全国選手権での190得点、リオ州選手権での284得点は通算得点数でいまだに1位だ。
 現役引退後は政界進出し、1992年にリオ市議に当選。94年からは4期連続でリオ州議を務めた。2008~14年はヴァスコの会長も務めている。


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