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日本の研究者3人が懇談会=俳句関係者と季語など話し合う

2023年8月24日

左側奥から広瀬さん、鈴木さん、小斎さん、吉田さん、右側が永江委員長、白石さん、久冨木原さん、末永さん
左側奥から広瀬さん、鈴木さん、小斎さん、吉田さん、右側が永江委員長、白石さん、久冨木原さん、末永さん

 日本から愛知県立大学の久冨木原玲学長、高岡法科大学の白石佳和准教授、愛知県立大学の末永エウニセ准教授の3人が来伯し、18日に俳句関係者と懇談会を行った。現地側からはブラジル日本文化福祉協会文芸委員会の永江ネイディ久恵委員長、広瀬芳山さん、鈴木文子さん、小斎棹子さん、吉田しのぶさん、宮川信之さんが出席した。
 小斎さんは「私がブラジルに来た1956年頃の俳句界はとても隆盛していました。佐藤念腹先生が馬に乗ってあちこちに指導に行く時代だった。最盛期の70年代には俳人が3千人ぐらいいて、全伯大会なら300人ぐらい集まった。あの頃は寝ても覚めても俳句の事ばかりでした」などと懐かしそうに振り返った。
 久冨木原学長からは「佐藤牛童子さんの季語集には何百も季語がある季節と、10個もないような時があるのはどうしてか」などの質問が出され、季語に関する意見が多く交わされた。
 広瀬さんは「季語の4分の1ぐらいはブラジル独自のもの。なかでも『転耕』などの季語は、夜逃げの意味も含まれていて、日本の俳句関係者には分かりづらかったよう」と説明すると、吉田さんが「私は25回転耕した人を実際に知っていますよ」と明かし、一同から驚きの声が漏れた。
 さらに広瀬さんは「牛童子さんの季語集は分厚過ぎて持ち歩きに不便。その点、梶原北民さんの『ブラジル季寄せ』(日伯毎日新聞社刊)は手ごろな大きさで内容もしっかりしている」などと解説した。
 吉田さんも「開拓時代にはどん底の生活を体験した人が多い。初期の頃の季語は農業に結び付いたものが多く、都会生活をする人が多くなった今からするとピンとこないものも多い」と述べた。
 小斎さんは「以前はよく俳句の先生が教えに来られた。村松紅花先生は2回もブラジルに教えに来られ、当地の俳句を愛しんでくれた。いつも情のこもった句評をしてくれ、移民に対する愛情がすごかった。最後の時に我々に対して『皆さんは移民俳句の有終の美を飾ってください』と言われたことを忘れられません」と付け加えた。
 当地に現在ある代表的な句会はサンパウロ市では木陰、みちのく、黒潮、熟年クラブ、サビア、砂丘など、地方にもあちこちに残っている。


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