ガザ地区=許可出ても出国ならず=ブラジル人ら34人越境困難=外交力の限界との声も

10日朝(ブラジリア時間では10日未明)、ガザ地区在住で帰国を希望していたブラジル人ら34人に対し、エジプトとの国境を越えるための許可が出たと報じられたが、その後も国境が開かず、先行き不明感がますます深まっている。

9日付G1サイトなど(1)(2)によると、ブラジル人やその伴侶ら計34人への越境許可が10日に出ることは9日の内に知らされていた。だが、8日までに出国との約束が覆った上、越境許可が出ても国境が開かず、出国できないという事態も繰り返されている。10日付G1サイト(3)を見ると、ブラジル人の間でも、国境を越えるまでは帰国できるとは信じられないと言う人もいるなど、ストレスのたまる状態が続いている。
10日付G1サイトなど(4)(5)によると、10月14日からガザ地区南部のハンユニス市とラファ市で待機していたブラジル人達はそれでも、越境許可が出た10日朝7時(現地時間、ブラジリア時間午前2時)にラファの国境検問所に集合した。
国境検問所では1日から負傷者や外国人の越境が始まったが、安全上の理由などで4、6、8、9日に国境が閉じられる事態が発生。また、ガザ地区北部で重傷を負った人の越境が優先されるため、越境許可が出た人も負傷者を乗せた救急車の到着を待つ必要がある。10日付アジェンシア・ブラジルなど(6)(7)によると、救急車は10日午後に2台越境したが、国境開放はなく、ヴィエイラ外相も10日午後、「越境できる日は不明」と言い始めた。パレスチナのブラジル大使も11日に再交渉する意向で、ブラジル人達は二つの町に戻った。
越境許可を受けた人は、ラファで健康状態のチェックを受けてから越境する。ブラジル人達は当初、国境まで出向いた在エジプトのブラジル大使館職員らと共に外務省が準備したバスに乗り込み、ラファから53キロのエル・アリシュか、さらに316キロ先のカイロに向かい、12日深夜か13日未明にブラジリア到着の予定だった。
ブラジル人達を乗せる大統領専用機はカイロで待機中で、エル・アリシュ空港に行く許可も得ている。予定されているルートは、同空港で搭乗後にカイロ、ローマ、ラス・パルマス、レシフェを経てブラジリア到着、または、バスでカイロまで行き、そこで搭乗するかのどちらかだ。
ブラジル側の受け入れ準備も万端で、身寄りや滞在場所がない人には連邦政府がサンパウロ州に避難所を用意。食料供給などの準備も進めている。空港には連警や国税庁職員らが赴き、身分証明書の発行手続きなどを行う他、医師や精神科医も待機。予防接種その他の防疫作業も行われる。10日朝の時点では、ルーラ大統領も出迎える予定だった。
なお、10日付G1サイトなど(8)(9)によると、ブラジル人の中にはハサン・ハベエ氏(30)のように、母親や2人の兄弟とその家族を現地に残して帰国する人もいる。ハサン氏は「母や兄弟を残しての帰国は生涯で最も困難な選択だ。彼らには生計をたて、命を守る術もない」とし、新たなリストに家族や親族も含まれ、ガザを離れられることを願っていると語ったが、ハサン氏らの出立時期も不確かな状態となっている。家族や親族のガザ脱出を願っているブラジル人やブラジル在住のパレスチナ人は他にもいる。
ブラジルは国際的な紛争時も中立の立場をとるのが原則で、ブラジル人の撤退交渉でも節度を保つつもりだが、8日付アジェンシア・ブラジル(10)によると、シルヴィオ・アルメイダ人権相は8日、今回の紛争では戦争犯罪が起きていると発言。9日付ブラジル247(11)によると、外交特別顧問のセルソ・アモリン氏は9日、イスラエルのガザ攻撃を大量虐殺と呼んだ。その直後にも関わらず、ブラジル人達への越境許可は出たが、国境が一向に開かないこと、6回目のリストまで許可が出なかったこと、国連安保理議長国だった2カ月間に停戦に向けた国際合意を採択できなかったことを、ブラジルの外交力の限界と見る声まで出始めている。