ガザ地区のブラジル人ら遂に帰国=13日夜ブラジリアに=救出計画から1カ月経て

【既報関連】10日にエジプトへの越境許可が出たが、国境が開かず、出国が叶わなかったガザ地区在住のブラジル人やその家族計32人が12日に越境を果たし、13日朝、カイロを出立。13日深夜にブラジリアに到着する予定で、ルーラ大統領も出迎えると12~13日付G1サイトなど(1)(2)(3)(4)が報じた。 12日付アジェンシア・ブラジルなど(5)(6)(7)(8)によると、ガザ地区在住の伯人やその家族の救出計画は10月12日から具体的に動き始め、14日以降、エジプトとの国境地帯に集まり始めた。外務省は早い時期に帰国希望者リストを提出していたが、交渉は進まず、1日に始まった越境の対象者リストにも入らない状況が続いていた。
また、越境は重傷者優先で、10日は最終的に救急車5台が越境したが、外国人は越境できずに2日が経過。11日付アジェンシア・ブラジル(9)によると、11日に明日は国境が開くと知らされ、12日に越境となった。
32人は越境後、ブラジル外務省が準備したバスで移動し、現地時間の12日20時頃(ブラジリア時間の15時)カイロに到着。32人が搭乗し、空軍の女医も同伴した大統領専用機は、13日11時52分(ブラジリア時間の6時52分)にカイロを発った。
大統領専用機は給油のため、イタリアのローマ、スペインのラス・パルマス、ブラジルのレシフェを経て、13日23時半頃、ブラジリアに到着。ルーラ大統領も空軍基地で出迎えることになっている。
戦火の中で1カ月以上過ごした後に越境したのはブラジル人22人、ブラジルで難民登録されているパレスチナ人7人、パレスチナ人近親者3人で、成人は男性6人と女性9人、17人は子供。当初の予定者34人中、50歳女性と12歳の娘は個人的な理由で帰国を諦めた。
13日付G1サイト(10)によれば、救出された32人の一例は、サンパウロ市在住の商人ハサン・ハベエ氏だ。紛争が始まる数日前に妻、3歳と6歳の子供と共にガザ地区の親戚を訪問するために現地に赴き、戦火に巻き込まれた。親戚を爆撃で亡くし、母親と兄弟を現地に残して帰国する。また、年頭までサンパウロ市に住んでいたパレスチナ難民家族のノウラ・バデル氏(37)と38歳の夫、11、9、4歳の子供は、みなブラジル国籍や一時滞在・永住許可を得ている。ノウラ氏が幸せそうに微笑む姿は、壁画画家のカブラ氏によってサンパウロ市の移民博物館の塀に描かれている。
また、二重国籍者のモハマド・ファラハト氏と妻、11歳と18歳の子供のように、ブラジル政府が財政支援と紛争中の避難所の提供を約束したために帰国を決めた人、1年半前にガザ地区に移った元サンパウロ市在住者で、両親を亡くし、13歳の妹と64歳の祖母と共に帰国するシャヘド・アル・バンナ氏(18)のような例もある。
ブラジリア到着後は健康状態のチェックや種々の書類作成作業などを経て、各自の目的地に。ブラジル国内に住居や身寄りがない人にはサンパウロ州内陸部に避難所が用意されている。
10日付G1サイト(11)(12)によると、ガザ地区には今回の帰国者やブラジル在住者の親戚を含むブラジル人や二重国籍者、その家族の移住希望者などが約50人おり、外務省が帰国第2弾実現に向けて準備中だが、実際に脱出できる時期などは見通しが立っていない。