ガザ帰国者=「爆撃ない日常に感謝」=戦場に残る親族が気懸り

【既報関連】13日深夜にブラジリアに到着したガザ地区からの帰国者達は、爆音などに悩まされることのない平穏な時間を過ごした後、各々の目指す地に移動したと14~15日付アジェンシア・ブラジル(1)(2)(3)(4)が報じた。
10月7日に生じたハマスによるイスラエル攻撃とイスラエル側の反撃で生じた紛争を受け、10月12日に始まったガザ地区在住の伯人やその家族の救出作戦は1カ月余を経て実現した。
1カ月以上、爆撃機の音や爆発音、救急車の音などに苛まされてきた人々は、空軍基地内の宿泊施設で最初の夜を過ごした後、健康状態や精神状態のチェックを受け、身分証明書などの書類整備のための指導を受けた。
13日の時点では子供2人が栄養失調の兆候ありとされていたが、14日に診察を行った小児科医は、栄養失調も脱水症状も起きていないとの診断を下した。ただ、汚染水や汚れた水を飲み、下痢などを経験した子供の中には水を飲みたがらない子供もいた。
また、戦火の中で生じたトラウマや家族や親族との別離の経験などで生じたストレスや懸念、開放感などで眠れず、一晩中遊んでいた子供もいたたため、施設内には遊具や教育的なゲームなどもある遊び場が造られた。
帰国者ら32人は30日間、精神科医らによるケアを受けるが、身体的な問題で入院が必要な人は誰もいなかった。
14~15日は予防接種だけでなく、身分証明書(RG)や納税者番号(CPF)、出生証明書、一時滞在ビザ、居住許可や就労許可などの書類や生活扶助にアクセスするための入国正規化のための指導も受けた。
32人中26人は15日に空軍機でサンパウロ州グアルーリョスの空軍基地に移動。9人は親族や知人宅、17人はサンパウロ州内陸部の避難所へと向かった。残りの6人中2人は、15日に民間機でフロリアノポリスに移った。
サンパウロ市に戻った一人は、ガン末期の母親と共にガザに行き、戦火に巻き込まれたシャヘド・アル・バンナ氏(18)だ。母親がガザで死亡した後、妹と祖母の3人で帰国したが、現地に残る親族らを案じ、今味わっている幸福感を親族や友人とも分かち合いたいと語っている。15日付ブラジル・デ・ファト(5)によると、彼女は「私達はガザで死を待っていた」と語っていたという。
7年間ブラジルに住んだ後、高齢の母を訪ねるために2020年にガザに戻り、戦火に巻き込まれたマフムード・アブハロウブ氏も帰国を喜んでいるが、避難所だった学校や教会も爆撃された後、ガザ南部への移動を命じられた時の緊張感などに言及し、ガザに残る兄弟2人やその家族、妹の身を案じた。
なお、16日付バンジ・サイトなど(6)(7)によると、ガザでの出来事や伯国到着時の様子などを頻繁にSNSに挙げていたハサン・ハベエ氏(報道機関によりレベエ氏と記載)はここ5日間で200件超の脅迫を受けており、伯国政府に彼と家族の保護を求めた。
13日UOLサイト(8)が約50人と報じていた、ガザからの帰国第2弾の希望者は約60人に増えているようだ。