国民的漫画家=ジラルド91歳で死去=「メニーノ・マルキーニョ」の作者

ブラジルを代表する児童漫画文学のベストセラー「メニーノ・マルキーニョ」の作者として知られるジラルドが6日、リオの自宅で亡くなった。91歳だった。同日付G1サイト(1)などが報じている。
1932年にミナス・ジェライス州カラチンガで生まれたジラルドは、幼少時から才能を発揮し、6歳の頃には彼の絵が地元の新聞に紹介されている。
1957年にミナス・ジェライス法科大学を卒業後、ジラルドは雑誌「クルゼイロ」や新聞「ジョルナル・ド・ブラジル」に政治風刺漫画を描き始めたが、その際に「ブラジルの歴史を漫画にしたい」との着想を得て、ブラジルの民間伝承で語り継がれる一本足の先住民少年サッシ・ペレレを主人公とした、「トゥルマ・ド・ペレレ」を1959年に出版。大ヒットとなる。この漫画はブラジル初のオールカラー漫画としても知られている。
1964年の軍事政権成立に伴い、関わっていた雑誌の刊行を止められると、ジラルドは1969年、自らが主宰する雑誌「オ・パスキン」を発行。彼自身は同年発効の軍政令第5条(AI5)による検閲強化で逮捕されたが、同雑誌からは、ミロールを始め、後に活躍する漫画家やジャーナリストが多数輩出した。
1980年、ジラルドは最大の代表作となる漫画「メニーノ・マルキーニョ」を発表。頭に鍋をかぶった10歳の少年マルキーニョを主人公とし、彼や友人たちが繰り出すいたずらをユーモアと共に描いた同作は、マウリシオ・デ・ソウザの「トゥルマ・ダ・モニカ」と並ぶ国民的人気漫画となった。
「メニーノ・マルキーニョ」は80年代から90年代にかけて漫画でヒットした後、1996年と98年に実写映画化。2000年代には実写とアニメでテレビドラマ化。現在もネットフリックスで最新のアニメ・シリーズが配信されていた。
コレイオ・ブラジリエンセ(2)やポオデール360(3)によると、ジラルドは自宅での睡眠中に亡くなったという。告別式は7日午前にリオ近代美術館で行われ、同日午後にボタフォゴ地区のサンジョアン・バチスタ霊園に埋葬された。