《記者コラム》マスクVSモラエス対決の内幕=米国議会の外圧で軋むブラジル政界

まるで〝黒船〟のようなイーロン・マスク
イーロン・マスク氏が登場したことで、ブラジルの保守VS革新対決の潮目がちょっと変わった。まるで〝黒船〟のような強圧をブラジル政界に与えている。
17日付フォーリャ紙(2)で報じられた《権力間の衝突のさなか、STF(最高裁)のアレッシャンドレ・デ・モラエス判事は今週水曜日(17日)、上院に突然現れ、「SNSの前は、我々はすでに幸せだったが、それを自覚していなかった」と述べた》という一言は実に象徴的だと感じた。
この記事は、あの強気発言、攻撃的な司法命令で知られる判事が、珍しく弱気な言葉を発したことで注目された。この中の「SNS」は明らかにイーロン・マスク氏のXのことを指している。
マスク氏はモラエス判事に「辞任か罷免」求める

4月7日付R7ニュース(3)によれば、今回のマスクVSモラエス対決の発端は、デジタル民兵と最高裁判事攻撃に関する犯罪容疑の2件で捜査対象になって、2021年l0月に逮捕令状が出ている米国在住のボルソナロ派過激ブログ執筆者のアラン・ドス・サントス氏の件だ。
モラエス判事は彼を外国逃亡中の犯罪人扱いにして、個人Xアカウントと彼が運営する「テルサ・リブレ」の両方を閉鎖するように司法命令を出していたが、Xは閉鎖をせずにブラジル国内からはアクセスできない形にして配信を続けさせていたことに端を発する。
6日にマスク氏が、モラエス氏を名指しして「辞任か弾劾を」と自身のXで投稿を始め、サントス氏のアカウントを非公開にするなどの法的措置には従わないと示唆し、「利益よりも(企業の)方針の方が重要だ」と述べた。
翌7日晩、サントス氏がXの「テルサ・リブレ」で1時間のライブ配信をやってモラエス判事を攻撃し、今年10月のブラジル地方選挙で右翼候補者を支援する活動を再開すると約束した。このライブ配信はVPN(プロキシサーバー)を使えばブラジル国内からも見られるため、ボルソナロ支持者を中心にかなりが視聴したとみられる。
それに激怒したモラエス判事は、デジタル民兵捜査にマスク氏を含めることを決定し、同実業家が司法妨害、犯罪組織、犯罪教唆の罪を犯したかどうかを判断するために新たな捜査を開始し、ブラジル国内におけるマスク氏関連の事業(Xやスターリンク)の禁止を命じる可能性があると示唆したという流れだ。
9日付BBCブラジル記事(4)によれば翌8日、マスク氏は火に油を注ぐように、南大河州選出のマルセル・ヴァン・ハッテン連邦下議(ノーヴォ)の書き込みに対する返答として、《なぜ連邦議会はアレッシャンドレ・デ・モラエスの残忍な独裁を許すのか? 彼ら(議員)は選挙で選ばれているのに、彼(モラエス氏)は違う。つまみ出せ》と書き込んだ。
最高裁判事調べる議員調査委員会の設置提案も
ルーラ政権になって以降、最高裁と連邦議会との対立構図が深まっている。その流れも、今回の対立に関係している。
ルーラ政権が16日、国立植民農地改革院(INCRA)のアラゴアス州専務理事から、アルトゥール・リラ下院議長のいとこを解任した。
それに反発したリラ氏が同日、政党の議会リーダー会議で「野党の議題を優先する」と発表し、いとこ解任への報復として、モラエス判事による司法権乱用疑惑を含む五つの新たなCPI(議会調査委員会)設置をほのめかせた。
ハッテン下議が昨年提出した、モラエス判事による司法権力の乱用を捜査する議会調査委員会の設置提案が実現すれば、最悪の場合には罷免も起きえることから最高裁に激震が走ったようだ。
更に翌16日には上院で、麻薬所持の犯罪化を憲法に明記する提案を審議される予定で、実際に同日2回承認された。個人使用のマリファナを合法化しようとする最高裁に対する、議会からの反撃とみなされた。
そんな17日、同日付メトロポレ紙サイト記事(5)によれば、《米国下院司法委員会は、アレッシャンドレ・デ・モラエス最高裁判事がブラジルのXに関して、表現の自由に反する判決を下した疑惑を指摘する報告書を発表した》とのニュースが躍った。
この司法委員会は共和党議員が多数を占めており、タイトルは「外国における表現の自由への攻撃とバイデン政権の沈黙:ブラジルの場合」だった。ブラジルと米国政府が共謀してSNS上の批判者を黙らせようとしていると非難するこの文書は、モラエス判事批判を始めたマスク氏と歩調を合わせたタイミングで出された。
ブラジル国内では司法機密扱いの、Xやその他SNSに関する最高裁の司法命令の内容が報告書を通して暴露されたことで波紋を呼んだ。この報告書によって、モラエス判事がXに対し約150のアカウントを停止または削除するよう命令していたことが明らかになった。これはブラジルのジャーナリストには明らかにされていなかった内容だった。
ルーラ親派ジャーナリストからも続々と批判
この問題は根が深く、それまで黙っていたブラジル国内のルーラ親派的なジャーナリストからも最高裁批判が上がるなど、マスク氏がモラエス判事批判を始めてから潮目が変わってきた。
例えば、サントス氏がライブ配信をした翌日、9日朝のCBNブラジルでジャーナリストのマル・ガルパール氏は自分のコーナー(6)で次のように批判した。
いわく「モラエス判事の司法命令の多くは機密指定されているから、いくつのアカウントに閉鎖命令が出て、どのアカウントか、その理由等がまったく分からない。この件について裁判所に質問しても、機密指定されているから答えられないと返答されるだけ」「マスクが言っている『正当な理由もなくたくさんのジャーナリストや政治家のアカウントに閉鎖しろと次々に命令が来る』のが本当なら、最高裁は事実を公表して透明性を示すべきだ」と意見した。
その上で「これに関してフラビオ・ボルソナロ(上議)は『マスク氏はただ意見を表明しただけであり、それで罪に問われるのはおかしい』と言っているが、最高裁の方も、マスクがウソを言っているとか、司法命令を守っていないというなら、その根拠や証拠を明示するべきだ。でないと、『(司法の)犠牲者になっている』という物言いがまかり通ることになる。実際、ルーラ政権は中国やアラブのような独裁政権ととても良好な関係を持っている。国民はきちんと説明を受けるべき」と批判した。

モラエス判事は「法治民主主義国家の基本原則に反する」
また普段、親ルーラ姿勢が鮮明なジャーナリストのペドロ・ドリア氏は15日のCBNブラジルのコーナー(7)で《O que fica da discussão Moraes x Musk x Brasil?》という珍しく厳しいコメントを発表した。
いわく最高裁の訴訟内容公表に関しては《まったく透明性がない》とし、ボルソナロとルーラの大統領選の頃から《STFやTSEが非常事態になっていることは分かるが、選挙はとっくに終わり、大統領就任から1年以上経った。いつまでそれを続けるのか》と疑問を呈する。
《もちろん、最高裁にSNSアカウント閉鎖をする権限があることは当然のことだが、(明確な理由が明らかにされずに)自分の意見をSNSで言えなくなることは検閲といえる》と苦言を呈し、《SNSの投稿に関してこの4~5年は、何の理由でアカウントが裁判所命令で閉鎖されているのか、弁護士をつけても知ることができない。民主主義社会においては、自分がなぜ訴えられているのか知る権利がある。でないと自分の権利を守りようがない。ボルソナロもルーラも関係ない。それが法治民主主義国家の基本原則だ。それが今のブラジルにはない》と痛烈に最高裁批判をした。
19日付ガゼッタ・ボ・ポーボ紙(8)によれば、《(米下院)報告書の著者の一人であるジャーナリスト、マイケル・シェレンバーガー氏の投稿に応えて、マスク氏は「モラエス氏はブラジルの選挙に完全に干渉した」と書いた》、さらに同ジャーナリストは《多くの点で、ブラジルの包括的な検閲システムはこの国独自のものだ。ブラジルの検閲産業複合体は司法府内にあり、EUや米国の場合のように行政府、国防総省、国土安全保障省、国立科学財団などの機関にはない》と書いている。
ルーラ氏が出馬可能になったのは最高裁がラヴァ・ジャット裁判見直し判決を出したことから始まっており、現在の最高裁は基本的に反ボルソナロ的な方向性があり、その急先鋒がモラエス判事だ。その意味で今の最高裁は現政権寄りの雰囲気を持つ。だからドリア氏も最高裁批判はあまりなかったが、ここにきて温度差が出てきていることを感じさせる。
今までモラエス判事批判といえば、ボルソナロ派ばかりだった。温厚なドリア氏がこのようなコメントを出すことが意味するのは、他にもこれに共感するジャーナリストが多くいる可能性が高いことだ。
モラエス判事がリラ下院議長と水面下で交渉
17日付G1サイト記事(9)によれば、モラエス判事は17日午前、最高裁のルイス・ロベルト・バローゾ長官との事前の取り決めにより、最高裁に対するCPI封じ込めのためにリラ下院議長宅を内密に訪問したと報道されている。
さらにモラエス判事は、司法に対してリラ下院議長よりも穏やかな姿勢をとっているロドリゴ・パチェコ上院議長を突然訪れて本会議場の彼の横に座り、冒頭に紹介した通り「SNSが現れる以前、我々は幸せだった」としみじみ語ったわけだ。
リラ下院議長と何が話し合われたかは公表されていないが、何らかの政治的交渉があったことは間違いない。なぜなら18日付UOLサイト記事(10)によれば、翌18日にリラ下院議長は《モラエス判事や他の最高裁判事や高等選挙裁(TSE)の行為を調査するCPIを設置するつもりはないとのメッセージを送った》となったからだ。

「歴史上、テメルに匹敵する大統領はいない」と演説するモラエス判事
そして18日付メトロポレ紙サイト記事(11)によれば、《実業家イーロン・マスクが5月上旬、モラエス判事の行動について米下院で証言する。公聴会は外交委員会で8日まで行われる予定だ》と報じられている。国内なら3権内で談合をすれば、ある程度の事態鎮静化は可能だろう。だが、マスク氏は米国議会を巻き込んでいるから、まったく手が届かないところにいる。
3日付コレイオ・ブラジリエンセ紙記事(12)によれば、モラエス判事はブラジリア連邦自治区議会で3日、テメル元大統領への名誉市民章授与式であいさつし、自分を最高裁判事に指名してくれた同氏を《歴史上、テメルに匹敵する大統領はいない》と大絶賛した。
セントロン中軸のPMDBを代表する政治家として、ジルマ政権下で副大統領となり、ジウマ罷免を経て大統領に昇格したという異例の経緯に加え、大統領任期中に2回も汚職疑惑で罷免されそうになるなど毀誉褒貶のある政治家として一般的には知られている。
最高裁判事も人間であり、自分を指名してくれた政治家への恩義は一生忘れないのだろう。モラエス判事の現在の圧倒的な司法権力の行使は、どこかラヴァ・ジャット作戦最盛期のセルジオ・モロ判事に似たカリスマ性を感じる。
マスク氏にとってタイミング的には、ここでブラジル右派やボルソナロ派を勢いづかせることで、米国選挙でもトランプ有利に働く機運を作りたかったのかもしれない。そんな大きな渦に巻き込まれつつあるモラエス氏も、モロ氏が現在置かれている状況を考えると、今後の成り行き次第では無傷ではいられない可能性を感じる。(深)
(1)https://www.poder360.com.br/internacional/censura-de-moraes-viola-a-legislacao-brasileira-diz-musk/
(4)https://www.bbc.com/portuguese/articles/c06lk7k2j0ko
(6)https://cbn.globo.com/podcasts/malu-gaspar-conversa-de-politica/
(7)https://cbn.globo.com/podcasts/pedro-doria-vida-digital/