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7月2日=「赤道連邦」発足から200年=北東部による、帝制への反乱

2024年7月3日

フレイ・カネッカの処刑(Murillo La Graca)
フレイ・カネッカの処刑(Murillo La Graca)

 2日、北東部で赤道連邦の反乱が勃発してから200年が経過した。2日付UOLサイト(1)が報じている。
 赤道連邦の反乱は、ブラジル帝国がポルトガルから独立して間もない頃に起こった。発端となったのは、ドン・ペドロ1世の圧政や、首都リオ、鉱山資源で潤うミナス・ジェライス州、コーヒー栽培で富を得たサンパウロ州などの南東部との格差だった。
 1817年のペルナンブコ暴動で逮捕され、4年間バイア州で服役した宗教リーダーのフレイ・カネッカはペルナンブコ州レシフェに戻っていたが、1824年3月25日に発布された欽定憲法は、その前年に立憲議会を解散させた上で作られたもので、かつ、中央集権制が強く、地方自治が弱いものであったことに憤りを覚えた(2)
 カネッカは、やはりペルナンブコ暴動に参加していた政治家のマノエル・デ・カルヴァーリョと共に1824年7月2日に北東部諸州に呼びかけ、北東部にブラジル帝国から独立した共和国「赤道連邦」の結成を宣言した。彼らは北東部全体の参加を求めていたが、ペルナンブコの他は、セアラー州とパライバ州の一部が参加したにとどまった。
 だが、勢力こそ大きくはなかったものの、赤道連邦の武装反乱は中央政権から任命されたペルナンブコ州知事だけでは鎮圧できず、8月にペドロ1世が軍を派遣させるに至った。その数はペルナンブコ州3500人、セアラー州2200人、パライバ州2千人で、同年10月に鎮圧した。
 首謀者のフレイ・カネッカは逮捕され、翌25年1月に処刑されている。


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