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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(57)

2024年11月23日

 既存の移民の中には、やっかみ半分に、彼らをインテリ移民とか銀ブラ移民と呼ぶ者もいた。
 入植者は、一九三九年までに約七百家族、三、七八〇人となった。
ところで永田は何故、この移住地を建設しようとしたのか、また各県の要人や知事たちは何故、参画したのか?
この疑問の答えも「背景」の項で考える。
この辺で、息抜きに、雑談を一つ挟ませていただく。
 永田稠という人は長命で、戦後一九七三年まで生きた。九十一歳であった。それ以前のことになるが、八十を過ぎても、移民送出に情熱を注ぎ、力行会の教室で、古びた筒袖・袴という身なりで講義をしていた。
 しかし日本社会の移住...

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