■記者の眼■投票が減る一方の文協選挙=創立70年の節目に懸念深まる

ブラジル日本文化福祉協会(石川レナト会長)は第60回定期総会を3月22日にサンパウロ市の文協ビル大サロンで、委任状9枚と会員50人出席のもと開催し、評議員選挙では178票が集計された。評議員と補充評議員計75人の枠に対して、立候補者はわずか76人。過去最も多かった2005年の文協選挙では1784票もあったのが、20年後の今年はまさに「10分の1」の178票。文協活動に関する関心が年々低下していることを表すのではと心配になった。
振り返ってみると、今世紀最も投票数が多かったのは、文協創立以来初の会員直接投票制による会長選挙だった2005年だ。3年後に日本移民100周年を控えたこの選挙では、上原幸啓/谷広海/下本八郎3氏が選挙合戦を繰り広げ、躍動感のある選挙だった。
中でも谷候補は全1784票中の804票を獲得するという大健闘を見せて、体制派を制して勝ったかと思われた。だが選挙管理委員会が突然、「誰も過半数に達しなかったので2次投票をやる」という規定にないことを言い出して、最終的には体制派が勝つという流れになり、反体制派は再起を誓った。
それに懲りたか、文協は会員が直接会長を選ぶスタイルの選挙を辞め、現在の様に評議員しか選べなくした。その評議員が会長シャッパを選ぶ選挙に投票する形だ。
2年後の2007年3月の評議員選挙では、体制派に加え、戦後移民や高木ラウルさんを中心とした一派、小川彰夫さん派の三つ巴の主導権争いが行われ、評議員選挙への投票には781会員が投票した。
次の2009年は、文協会長選挙で最後の対立シャッパが出た年だった。体制側の木多喜八郎候補(評議員54票)VS反体制派の小川彰夫候補(46票)という僅差となり、当時の日系社会の話題をさらっていた。立候補者の討論会なども開かれ、ダイナミックな文協選挙だった。
それ以降、緊迫した会長選挙がなくなり、2009年を最後に対抗シャッパすらなくなり、投票数も減る一方になった。評議員を選ぶ投票数に限ってみれば2009年は649票、2011年は634票。2013年の投票数は529だから年々減少している。
2015年3月の第55回定期総会では、立候補82人から評議員と補充計75人が決定されていた。出席者は委任状35を含め87人。投票数は399だった。そこから今回は半分以下の178票まで減った訳だ。
会員数をみれば、2003年は3100人程度で、選挙のために2005年は3500人程度まで膨らんだが、投票のために入会した人は翌年から会費未払いになった。それが、現在では約1千人まで落ち込んでいると聞く。投票数と同じで減る一方だ。
今年は日伯外交130周年の節目であり、文協にとっても創立70周年の大事な年だ。その年の総会で、節目の記念行事や事業のことがまったく話し合われないのは、会員向けの総会としてかなり寂しい。さらに残念なのは、それを喧々諤々と議論したり問題提起する会員すらいないことだ。
今年の総会では逆に「もう立候補者がいないから、評議員枠を100人から減らそう」という話すら出た。270万日系社会を代表する団体として、それでいいのかと首をひねった。(深)