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ウルグアイ=ホセ・ムヒカ氏が死去=「清貧大統領」として有名に=ルーラ「ブラジルの大親友」

2025年5月15日

2012年、「リオ+20」でのムヒカ氏(Alicia Moreno)
2012年、「リオ+20」でのムヒカ氏(Alicia Moreno)

 中南米左派を代表するウルグアイの元大統領(2010〜15年)で、国際的にも「清貧大統領」として知られたホセ・ムヒカ氏が13日、モンテビデオで癌のため死去した。89歳だった。親友として知られたルーラ大統領も、同氏の南米社会に対しての功績を改めて讃える追悼を行っている。

 ムヒカ氏の死後、ルーラ氏は追悼文を発表。「ブラジルにとっての大親友だった。メルコスル、南米連合(UNASUL)、中南米・カリブ諸国共同体(CELAC)で中心的役割を担ったが、それ以前に、私たちの時代にとって最大の人格者の一人だった」「彼はより公正で民主的な、皆が協力していく新たな国際秩序を作ることを約束した」と賛辞を送っている。(1)
 ムヒカ氏は1935年モンテビデオ郊外で生まれた。60年代初頭に政治家エンリケ・エロ氏に師事し、マルクス/レーニン主義の社会運動「トゥパマロス」に傾倒。この時に、後に同国の軍政への道筋を作ったホルヘ・パチェコ大統領による共産主義者に対する憲法上の保証剥奪と戦った。
 ムヒカ氏は1970年に電話交換局占拠の罪で逮捕。1973年に始まった軍事政権により実刑が長期化し、1985年に軍政が終了するまでに及んだ。
 1989年に政党・人民参加運動の立ち上げに加わり、1994年に下議、99年に上議に当選。2005年にタバレー・ヴァスケス政権で農相を務め、2009年の大統領選で当選。当時、中南米で続々誕生していた、学生運動やゲリラ出身による再民主化後の左派政権が誕生したとして注目された。
 大統領に就任したムヒカ氏だが、職務そのものを超えて、その生き方が注目された。大統領になっても公邸に住まず、夫人とモンテビデオ郊外の農園に住み、1987年製の中古のフォルクス・ワーゲンに乗って大統領府まで通っていた。(2)
 そんなムヒカ氏を一躍国際的に有名にしたのが2012年、リオでの国際環境会議「リオ+20」で行った演説だった。ここでの「もし、最も裕福な人たちと同レベルの消費が世界中で行われれば、呼吸できる酸素はどのくらい残るのか」「私たちがグローバリゼーションを支配するのか。それともグローバリゼーションが私たちを支配するのか」「貧しい人とは少ししか持っていない人のことではなく、無限に多くのものを欲しがる人のことだ」などの言葉は強い反響を呼び、後にドキュメンタリー映画を通じ広く知られることになった。(3)
 ムヒカ氏はルーラ大統領との友情でも知られた。ルーラ氏は2005年に、まだムヒカ氏が上議の時に知り合い、2010年に共に大統領になって以降、親交を深めてきた。ルーラ氏がラヴァ・ジャット作戦で有罪判決を受けてパラナ州の連邦警察特別室に収監されていた2018年に、ムヒカ氏が訪れて慰め励ましたことで、二人の関係は一段と深まっていた。
 ルーラ氏は翌年に釈放されて以降、同氏に頻繁に会うことを繰り返した。特にルーラ氏が大統領に再任したばかりの2023年1月にウルグアイを訪れた際、ムヒカ氏が愛車のフォルクス・ワーゲンにルーラ氏を乗せてドライブを行ったことは話題を呼んだ。(4)


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