《記者コラム》連邦議会が大統領拒否権を拒否=健全と言えば健全だが

17日夜、ルーラ大統領が連邦議会の承認した複数の法案の裁可に際し、拒否権を行使し、法案に修正を加えたが、連邦議会がそれをさらに拒否し、法案を承認時の形に戻したとの報道が流れた。(1)(2)(3)(4)
議会で承認された法案は、議会が最善と考えた内容を多数決で良しとしたものだから、承認時の形に戻すのは議会の権利であり義務と言えなくもない。
また、今回の件は立法府が完結させた仕事を行政府がいじくり回した形だ。三権分立の原則から言っても、もう一度、最善だと思う形に戻そうとするのは、立法府は立法府、行政府は行政府、司法府は司法府として、各々の分を果たすという姿勢を貫いたものとも言える。
だが、気になるのは、大統領の拒否権は当該法令が発効した時に発生する経費その他の問題も加味して行使されていることだ。もちろん、議会には議会の言い分があり、大統領や与党にもそれぞれの言い分があるが、報道によれば、洋上での風力発電能力を高めるための法案の場合、議会側が審議過程で本来の目的にそぐわない修正を多数加えたため、大統領が拒否権を行使したという。拒否権拒否により修正部分が復活したため、電気代が高くなるとも言われており、首を傾げたくなった。
法案の主旨から外れた修正部分に拒否権を行使するのは至極当然だと思うのだが、何らかの恩恵や利益を得るために修正を加えた人々にとっては当然のことではなくなる。
もちろん、議会が承認したからには、修正部分が個人または組織、業界などへの利益供与を狙ったものではないと信じたい。実際、拒否権を拒否した法令の中には、母親がジカ熱に感染したことで小頭症などの障害を持って生まれた子供への生涯手当や1人5万レの賠償金の支払いに関するものなどがあり、特別なケアが必要な人には経費が増えても支援を行うという主旨のものがある。
だが、本来の法案の意図とは違うとして大統領が行使した拒否権を拒否し、無効化したことで、消費者が払う電気代が3%高くなるという記事を読むと、修正部分を加えたり、拒否権を拒否した意図は何だったのかと訊いてみたくもなるのだ。
行政府と立法府がより良いものを創り上げるために論を戦わせるのは当然だと思うし、本当に助けを必要としている人達のために手を差し伸べることも必要だと思う。また、一方が間違ったことをしたら他方が修正することは必要だし、過ちを正し、国民の必要に応えるための手段が残されていることも健全だと思う。
だが、議会が承認するまでの過程が正しかったのか、論を十分に戦わせる前に承認したことで拒否権行使となったのではないのか、現在の財力で議会が承認した通りの内容の維持や実行は可能なのか、議員数増加などのように国民の多くが反対している案はどのように取り扱われるのか、金融取引税(IOF)を巡る政府と議会の攻防の行方はなどと考えると、議会と政府の対話を増やし、拒否権行使や拒否権拒否といった事態を減らす努力をもっと重ねて欲しいと思うし、政府側ももっと信頼感の持てる政権運営をと望んでしまう。
全員OKという政策は困難かも知れないが、大統領も議員達も選挙によって選ばれた人達だからこそ、選挙民の生活や願いを知り、国民本位の法案、法令の作成、実施をと願いたい。電気代値上がりは養鶏場その他の経費増にもつながるから、鶏肉などの価格にも影響は及ぶと聞き、消費者の負担は電気代の3%増だけでは終わらないのかと肩を落としたくなるのはコラム氏だけだろうか。 (み)