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ぶらじる俳壇=151=伊那宏撰

2025年7月29日

サンパウロ 林とみ代

梟や森の警護を任されて

しんがりを励まされ行く枯野かな

大枯野茜に染めて夕日落つ

 〔今まさに、極彩色に染まった寒夕焼けが枯野を茜色に染めて消えていこうとしている。この美しい自然の美を見逃す俳人はいない。しかしあまりにも美しすぎるゆえものにすることが難しい。多くが類型的になったり画一的になったりして納得する句が出来ない。受けた感動を客観化するのは並大抵ではなく、多くの人はその感動を脳裏に抱えたまま見過ごしていく。本句は「寒夕焼」という季語は使わずその美しいイメージを言い表した稀な句。〈大枯野〉で季節感を強調して冬の夕日を見事捉えている。対象を見つめるアングルに工夫があるのだ。言葉選びと作句法を期せずして教えて頂いた句である〕

カンピーナス 後藤たけし

駆け巡る夢は枯野に病みにけり

牧さみし牛のしゃれこべ虎落笛

 〔しゃれこうべ(されこうべ、曝し首)。風雨にさらされて白骨化した頭蓋骨のこと。気色悪い言葉であるが、当国の広大な牧場(ファゼンダ)の柵門の脇に、そうした牛の頭蓋骨が無造作に飾られているのを写真などで見かけることがよくある。セッカのために死亡する牛などに、ウルブーの群れがたかって骨だけにされた頭骸を、遊び心と言うよりも魔除けの意味でそうしているのであろう。これを風物詩と言ってよいものかどうか、奇妙に印象に残る光景 ではある。〈虎落笛〉は竹や木で組んた柵などに冬の強い風が当たって引き起こす風音を言うが、恰もしゃれこうべが奏でている響きのように印象される。〈牧さみし〉と詠まれた作者の心象は否応なく読者に伝わり、冬の寒々とした心地に包まれるのである。対象物の奇抜さと季語で際立った一句になった〕

朽ち果てし廃線鉄路霜白く

サンパウロ 石井かず枝

梟のきょろきょろ動く不気味な目

帰り花再度幸せ縁ありて

どこまでも続く枯野に夕日映え

イタペセリカ・ダ・セーラ 山畑嵩

雲走る影も奔りて大枯野

じわじわと老締め付ける霜の朝

びょうびょうと天地の悲鳴虎落笛

サンパウロ 串間いつえ

祝福す恩師の長寿春隣

寒き日の二日続きの外出かな

梟の身じろぎもせず杭の上

パラー州トメアスー 三宅昭子

俳友逝きて悲しく響く虎落笛

道路封鎖枯野にタイヤ焼く煙

 〔タイヤを焼いて道路を封鎖する。プロテスト(抗議)の手段として近頃そちこちで見かける光景だ。道路封鎖という実力行使(迷惑行為)によって国政を動かし望みを達する。対話という民主的な方法ではラチがあかないとて、直接手段を選ぶ最近の当国の風潮である。枯野の中を貫通する道路、一つ間違えば火災を引き起こすというリスクをチラつかせてでもやらねばならない抗議運動。こうした問題を主題にした俳句は大変珍しく見過ごされやすいが、叙事俳句として眺めると印象も変わってくる。枯野に立ち上る黒煙。ふと立ち止まって眺めさせてもらった〕

虎落笛聖市の宿の十二階

日本 大槻京子

廃屋に淡き一つの帰り花

やるせなき果ての果てまで枯野かな

切なさを火酒に流し虎落笛

ポンペイア 須賀吐句志

童歌つい口ずさむ寒夕焼

ブラジルは広し枯野の何処までも

凍星や何処に在はす妻の星

セザーリオ・ランジエ 井上人栄

古里の山の細道返り花

廃校の運動場や返り花

公園が自慢の街や返り花

サンパウロ 馬場園かね

猩々花原色図鑑此処にみる

ふろ吹きのたぎる音と独りの夜

子等の声上る球場枇杷の花

 〔〈球場〉とはサッカーや野球をする場所(カンポ)なのだと思う。が、本句の場合は、作者が長らく住んでおられた聖市近郊の、日系人が多く住む集団地にある球場を指すのであれば、そしてそこは、日系の枇杷栽培農家が多い地―となれば、それは疑いなく「野球場」のことであろうと断定して差し支えないと思う。かつて半世紀以上前、日系社会に野球が盛んだった時代があった。今でも廃れておらず、野球に魅せられ将来を夢見て励んでいる少年たちがいると思えば、本句も大きな意義を持つ。ブラジルでは野球はマイナースポーツ。テレビでニュースにされることもないが、世界大会などを目指して若人たちが頑張っていると思うと頼もしいかぎりだ。(この鑑賞文が果たして的を得たものかどうか――??)〕

サンパウロ 大野宏江

日本館に佳子さま迎へ帰り花

人生とは果てなく続く枯野かな

おもてなしの感謝の心帰り花

サンパウロ 山岡秋雄

笛吹師居らずとも鳴る虎落笛

菜園に生きるふくろう昼間鳴く

郊外は枯野と紛れブラジリア

サンカロス 富岡絹子

帰り花寒波に縮む思ひかな

梟に見られて歩む野の小径

州境を越えれば枯野の続く道

麻州ファッチマ・ド・スール 那須千草

一夜明け枯野となりぬ牧草地

道すがら手折りて帰る帰り花

開拓地寝床で聞いた虎落笛

サンパウロ 平間浩二

山間の陽ざしうつすら帰り花

庭隅に陽ざしうつすら返り花

なべてみな薄き定めの返り花

イタペセリカ・ダ・セーラ 山畑泰子

山すそも色失ひて大枯野

人の世に再び開く帰り花

 〔〈人の世に再び開く〉とは深い意味を湛えた言葉だ。反意としては、それまでに限りない幸せがあっった。生きる目的もあり、明るい未来という展望もあり、何一つ不足のない日々があったと振り返る。しかるに今、世は殺伐とし、己が身から潤いが消えなんとして独り冷え冷えとした時空に立つ思いだけが残る。そう、人がいても人見えずの失望と孤独の空間に、ある日、一輪の帰り花の咲くを見たのだ。突如現れた救世主のように、それは希望のシンボルとして、世の隅に生きる人々へ必ずや潤いをもたらしてくれるものと思えるものだ。時空に咲く一輪の花よ、願わくば、それが幻の花でないことを・・〕

灯を消してもなほ強まりて虎落笛

サンパウロ 建本芳枝

梟の親子目で追ふ散歩道

久々の庭の手入れや帰り花

車窓から枯野の家に灯がぽつり

モジ・ダス・クルーゼス 浅海喜世子

天然の音楽高し虎落笛

眼光を残し病む人春隣

帰り花我が行く道を変えにけり

手洗いの水の冷たさ沈黙す(別稿より)

一畳の筏かずらや紅映ゆる(〃)

サンパウロ 上村光代

木の葉落ち風に飛ばされ遠くまで

冬休早く来い来い待ち遠し

隙間風ありて上着の用意かな

サンパウロ 太田映子

着膨れて犬にもチョッキ編んで着せ

冬将軍出陣待つは布団隊

日が昇る七色光る冬の朝

冬深む力のなさを感じおり(別稿より)

太陽の恵みを受けて冬日向(〃)

ベルギー 赤星乙絵

汗流し西瓜頬張る五歳かな

夏空に悔し涙とボール追う

サンパウロ 谷岡よう子

着膨れて人種のるつぼメトロ駅

寒い日々ふと口ずさむ春よ来い

ポンペイア 岩本洋子

春寒や風に揺れ居る花の夢

春眠や虹の夢見る花の風

春浅しあわき日の色風に舞う

 〔冴えた感覚から生まれた一片の詩(うた)である。俳句の域を抜け出して、感性に任せたシンボリックな詩の世界を作者は描き出した。「春光が淡あわと風に舞う」とはどなたにも思いつかぬフレーズだ。「風」という語句は、詩の世界では心象表現の手段として好んで使われる。オブラートで包んだように焦点をボカし、全体のトーンを和らげる。絵画で言うぼかしの手法で、表現の俗っぽさから抜け出し、洗練された俳句を生み出す効果があるとして試みる俳人も多い。それにしても陽の彩が風に舞うという発想は素敵だ〕

ポンペイア 鹿島和江

若草の牧に餌食む馬百頭

プリマベーラ咲いて公園美しく

シャーカラの門に仕立てしプリマベーラ

ポンペイア 作野敏子

生き生きと夕風受けてプリマベーラ

強東風の吹きくる里の暮れ早し

嬉しそう若草踏んで走る孫

ポンペイア 白石幸子

ベランダにまぶしき色の筏かずら

子供らに囲まれ牧の仔馬かな

美しき門に仕立ててプリマベーラ

モジ・ダス・クルーゼス 浅海護也

親馬と仔馬の駆ける日本海

垣根なす筏かずらや旧耕地

春分や大吉と出た今日の籤

サンパウロ 吉田しのぶ

外っ国を永遠の地と決め落葉焚く

母の死にめげず春待つ医大生

添削し句作の合間毛糸編む

襟巻や箪笥に眠るきつねの眼

亡き夫の始末に困る褞袍かな

ソロカバ 前田昌弘

父の日や頼りなき父祝う子等

野を焼く火足元に来て腰を上げ

春寒し膝小僧抱き階に

パラー州パラゴミナス 竹下澄子

スタミナや盛らるサラダのアルファセ

ぐい呑みの喉元甘し椰子の水

七夕の今宵ロマンスかけめぐる

ベレン 岩永節子

ココ椰子の水大繁盛海辺にて

香水香行き交う人を振り向ける

朝の陽に満開尽くす花マンガ

ベレン 鎌田ローザ

カラフルな夢短冊の叶えけり

 〔〈短冊〉は正規には七夕の季語に含まれないが、本句の場合は明らかに「七夕紙」を示しているので異議なしとしたい。短冊は普通五色とされ、祈りや夢を書いて竹笹に吊るす。〈カラフルな夢〉とは、彦星と織姫の出逢いに因んだロマンチックな想いを五色(カラフルな〕紙に託したもの。それが叶えられたとして詠まれた一句。詠みに淀みがなく、〈短冊〉がしっかりと役割を支えている〕

機械如マラクジャ花優雅なり

凧揚げのボール交換し事故防ぎ

ベレン 諸富香代子

急坂を河馬ら横目に雨季の園

旧友と語る三日の秋の旅

叔父と甥浜辺で空手夏季休暇

ベレン 渡辺悦子

どう生きる椰子水飲みつ考える

 〔〈椰子水(アグア・デ・ココ)〉とはココ椰子の実の中に溜まっている水のこと。まだ皮が青いうちに採り、口径部に穴をあけてストローで飲む正真正銘の天然水である。その場で穴を開けて飲めるので夏の浜辺で商う人が多い。さて、その椰子水を飲みながら人生をどう過ごそうかと考えてみた。どう見ても健康なお人である。差し迫った悩みがあるとはとうてい思えない。浜に出たついでに椰子水を飲みつつ、お連れの人たちととりあえず人生論に花を咲かせている――そんな熱帯の悠長さと明るさを湛えた光景が瞼に浮かぶ。俳句は一瞬の物語である。一瞬々々寸断した真実を詠む作業である。どう生きるかを椰子水飲みつつ考えるのも一興。そうして人生が積み重なってゆく〕

朝の歩行香水婦人とすれ違う

香水に縁なきままの我が生涯

読者文芸

◆ブラジリア俳句会(7月)

冬耕の大地に上る土煙 山根敦枝

水涸れて苦労の日々を移民初期 渡辺隆夫

鯨舞う大海原に潮吹き上げ 浜田献

水涸るる農業用水分け合いて 田中勝子

首都は晴三権広場の芝枯れる 長谷部蜻蛉子

川涸れて小舟は岸に揚げしまま 荒木皐月

◆あらくさ短歌会(6月)

プレゼント何も要らない誕生日ただ健康を望む我らは 橋本孝子

背を壁に預けてはいた靴下も裏返しなるを脱ぐまで知らず 楠岡慶憲

我が背丈超えたる孫が腕とりて優しき瞳をして寄り添いくるる 金谷はるみ

あれこれと老いの自覚に母偲び施設の姉と飛び交うメール 矢野由美子

若き頃乗りまわしたるフスカ車を時たまに見る懐かしきかな 梅崎嘉明

熱烈な歓迎式典佳子さまは抱擁までも自然な動作 伊藤智恵

六月の寒さ続きの午後の日にふと思い出す故郷の寒 水澤正年

おじいちゃん今日も頭に老眼鏡「ばあちゃん私の眼鏡はどこだ」 篤常重

硬い物食べづらくなりこの頃は老いる身体をひしひし感ず 足立富士子

午後三時夫と二人でベランダでコーヒー楽しむ何を語ろう 吉田五登恵

夕方の嵐で停電暗いまま被災者の如く風呂なしで寝る 足立有基

あの時のカルモの桜散り終えて君の消息届かぬままに 安中攻

◆老壮の友(7月)

朝々を車椅子にてリハビリに出でたつ吾の目に映る景 梅崎嘉明

古代より命をつなぐ稲の穂の豊かに揺れるパラナ路の秋 小濃芳子

夏の夜の夕顔のごとしらじらと月はのぼりぬ吊り橋の上 野口民恵

幼子を膝にだきあげ絵本読むポカポカぬくもり離し難きよ 金藤泰子

めずらしや聴診器当てる若き医師老いたる胸に息深く吸う 森川玲子

この寒さ今年は特にこたえおり伯国に住みて五十五年を 坂野不二子

待ち待ちし雨降り始め樋つたい池へとそそく水に感謝す 足立有基

雨上がりゲートボールの球を打つ初心者なれど当たればうれし 足立富士子

早朝にとどくブラジル日報の佳子様の写真つい手にふれる 大志田良子

痛ましき友の息女の突然死働き盛りの五十歳なりし 小池みさ子


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