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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(213)

2025年7月26日

 四月一日事件は世に衝撃を与えたが、襲撃者は戦勝派の間では、英雄視されていた。戦勝派は未だ邦人の大多数を占めて居った。

 こういう場合、真似をする者が出がちである。

 要するに、襲撃事件は飛び火し始めていたのである。

 中村たちには、もう一人の仲間がいて、標的を探していたが、未遂に終わった。後にキンターナで逮捕されている。

 彼ら三人は、いずれも地元の人間ではなかった。中村はバウルーから、他の二人はノロエステ線地方から、来ていた。

 四月三十日。

 サンパウロ州の西端、奥ソロカバナ線地方プレジデンテ・プルデンテで、敗戦派の続木栄吉が早朝、覆面をした五人組に狙撃された。 

 筆者が続木の甥に当たる人から聞いた話では、郊外に住む続木が早朝、街に用足しに行く途中、包囲され乱射された。一発が胸に当ったが、内ポケットに厚い手帳か何か入れていたため、弾は心臓に届かず命を拾ったという。

 続木は、戦時中から、東京ラジオを聞いており終戦時「日本は敗けた」と周辺の人々に話していた。

 五月一日。

 パウリスタ延長線地方バストスで、敗戦派七人の住宅や仕事場に、小型の爆発物が届けられ、一部が破裂、数人が負傷した。

 送り主は不明だった。非日系の子供が、誰かから頼まれた…と言って届けたという。

 箱を開けると、破裂する仕掛けになっていた。が、小さな破裂で、軽傷で済んだ。開けなかった人もいた。(日付については、六日説もある)

 敗戦派、粛正請願書を送付

 五月十日。

 サンパウロの認識運動の推進者たちは、秘密結社粛正の請願書を大統領、司法大臣兼内務大臣、陸軍大臣そして州政府執政官(大統領が任命する首長)に送った。

 請願書には、

 「この秘密結社は…(略)…その再建を図る動きがあるので、責任者たる徒輩の粛正を取り計らって欲しい」という主旨のことが記してあった。

 秘密結社とは臣道連盟のことである。

 しかし、何度も同じことを書くが、臣道連盟は、公開団体となっていた。それにも関らず、こう決めつけている。

 請願書の署名者は古谷重綱、宮腰千葉太、山本喜誉司、下元健吉、藤平正義、森田芳一ら十四人であった。

 何故、こんな請願書をつくり送ったのか? 

 署名者の中から、終戦事情伝達趣意書の署名者の名が幾つか欠けているのもヘンだ。

 その一人、蜂谷専一は前章で記した様に「認識運動が事態を悪化させた」と自伝で記している。この時点では、その事に気付いて、逆効果になると観て署名しなかったのかもしれない。

 この請願書の作成、送付を企てたのは誰であろうか。

 藤平の仲間が、請願書を持って署名を貰って歩いていたとか、宮坂国人が断ったとかいう話が、資料類に断片的に記されている。

 以後の展開から推定すると、この請願書は、臣連を完全に葬るため藤平たちがやった臭いがする。

 しかし、請願書には古谷、宮腰、山本、下元ら日系社会の代表者の名前が並んでいた。

 これが関係したかどうか…同時期、襲撃事件の再発で、州警察は戦勝派狩りを再開している。狩り込んだ戦勝派の多くは、地方の警察に留置された。どこも、満員状態となった。

 脇山大佐襲撃

 六月二日。

 サンパウロで、脇山甚作大佐が射殺された。

 襲撃者は四月一日事件の折の逃亡者五人の内の四人であった。 

 この事件、筆者は襲撃者たちから、かなり詳しく取材できたので、長くなるが、それを記す。

 話の時期を四月一日事件まで戻す。 

 右の逃亡者五人の潜伏先については、前章で触れた洗濯屋の小笠原夫婦ら協力者が、アレコレ世話を焼いた。

 日高徳一は小笠原の店に匿われた。ここに居た山下博美は、スザノの星野という蔬菜農家に移った。 

 日高は、その小笠原宅でのある日、店の奥の階上のアイロン部屋に居ると、若主人の嫁さんが、ソッと上がって来て「今、刑事が来て調べている。こちらにも来る」と知らせてくれた。

 とっさにヴェランダに出、手摺りを乗り越えた。下の階の庇に飛び降り裏手に逃げようとして、手摺りの下の床の端にブラ下がった。

 ところが、足の先、庇の下の内側、ボイラーや機械類がある所に刑事が居る気配である。

 別の刑事が階段を上ってきてアイロン部屋に入ってきた様子でもあった。

 飛び降りることもできず、上に戻るわけにもいかない。宙ぶらりんのまま刑事が去って行くのを待った。

 どの位の時間が経ったのか…腕が痛んだのかどうか…記憶にない。必死だったせいだろう。(つづく)


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