帰化して三重知事選挙に挑戦=「日本の姿」問う石川剛さん(1)=サンパウロ市で過ごしたのどかな幼少期
任期満了に伴う9月の三重県知事選挙に、津市で建設会社IHI技建株式会社を営む石川剛(つよし)さん(51歳、サンパウロ市生まれ、日本に帰化)が4月18日、立候補を表明した。石川さんはブラジル・サンパウロ生まれで、同県知事選出馬は2021年に続き2度目。石川さんが、なぜ日本で政治の道を志すのか。その背景やこれまでの歩みについて、6月12日、神戸市立海外移住と文化の交流センターを見学しながら面談し、話を聞いた。(取材・大浦智子)
ブラジル生まれの日本人、三重県知事選挙へ出馬を決意
日本でもブラジルでも、選挙が近づくと、国民の不満や困りごとに対し、その場しのぎの対応でやり過ごそうとする政治のあり方が繰り返されている。大切な課題が曖昧にされたまま、選挙の時期だけ人々の関心を引くような対応が目立つのが実情だ。そうした状況に違和感を覚え、石川さんは地元・三重県の政治に自ら関わる決意を固めた。
「立候補した以上、三重県や日本全国の皆さんに、石川剛の有意性を証明します。ブラジルの日系社会が開拓精神で築かれたように、私も未知の世界に挑み、道を拓いていきます」と気合を入れる。
「ブラジルの日本人や日系人から見ると、今の日本の政治や経済は『己を捨てた』ように映ります。特に首都圏では日本人が『ジャパニーズ』(外国人のような日本人の意)になってしまったように感じられます」と続け、「日本の真の敵は日本」と断じる。
議会で政治家同士が罵り合うのではなく、「一円でも報酬を受け取ったらそれに見合う答えを出すべき」と断言する。地を這うように汗水を流してきた石川さんゆえに、その言葉は重く響く。日本は真の主権国家として全方位外交を行って「平和と経済」を優先させるべしという主張は、トランプ大統領から50%関税を課せられても動じない故郷ブラジルの姿にも重なる。
サンパウロ近郊で生まれ育った少年時代
石川さんは1973年、サンパウロ市タトゥアペ区で生まれ、郊外イタクァケセトゥーバ市で育った。父親の二千乙(ふじお)さん(85)は1967年、26歳の時に渡伯し、溶接工として複数の企業で勤務していた時、ペルナンブッコ州出身の剛さんの母親と知り合い結婚した。剛さんは5人兄弟の3番目で、当時は今以上に野原が平がり、軍政時代の治安も穏やかな環境の中でのびのびと育った。
「ブラジルで米国の宇宙船アポロ号の窓の溶接をしたこともある」という父親の関係で、家には様々な原料があり、友達とロケットを作って飛ばしていたのが良い思い出の一つという。「70mくらい飛んだかな。今なら警察に注意されそうですが、当時は誰も何も言いませんでした。田舎で必要だったので10歳くらいでバイクや車も運転していました」と少年時代を振り返る。
サンパウロ以外では、家庭の事情で2年ほど母方の祖父母の暮らすペルナンブッコ州コンダドに過ごした時期もある。「日本に来たばかりの時は、ブラジルで暮らしていればもっと穏やかな日々だったのではないかと、後悔したこともありました。でも、結婚して子供たちが生まれてからは未練もなくなり、今が一番幸せです」
と笑顔を見せる。(続く)