本門佛立宗=青年会50周年に350人=日本からゆかりの4人来伯=「日本から学びに来てもいい時代」
ブラジル本門佛立宗(HBS)中央寺院日教寺(コレイア教伯ブラジル教区長)は7月19、20日にブラジル教区青年会(Dejub)創立50周年を記念した第49回青年錬成会(全国青年錬成会)、第35回全国子ども錬成会と第4回「本門結縁フェスティバル」を開催し、家族連れ約350人が参加。初日に写真展「トランクの中の日本 ― 戦争・平和・仏教」も同時に開幕した。
初日朝の開会式ではHBS宗歌と茨木日水上人奉賛歌を若者向けにアレンジしたPOPバージョンが披露され全員で歌った。10時からはラファエル・タケイ氏の講演「生きがい」が行われ、人生の目的について熱のこもった話が行われた。
午後は本門結縁フェスティバルとして、イピランガ独立公園でグループ交流活動が行われた。夜は若者向けにお楽しみの昔風ダンスパーティーやDJ出演付きのバラーダ(新風ダンス)、年代が上のOB向けには寺内の別会場で交流会が行われた。参加者の約3分の1はマットレスなどを持ち込んで寺に宿泊し、楽しい思い出づくりをした。
当日は日本から豊谷秀敏さん(70歳、千葉出身)、妻れいこさん(70歳、京都)が参加した。れいこさんの父・御牧日解(みまきにちげ)上人は、第1回派遣教務として1965年から2年間、2回目は1969年から5年間も当地赴任し、笠戸丸移民として初めて当地に仏教を伝えた茨木日水上人を手伝って、HBSの運営を軌道に乗せる活動に従事した。
当時、2世信者の教育や次世代の僧侶育成が急務とされていた。れい子さんは「朝参詣の際に子供を連れてきて、お寺は楽しいところだと印象付けるよう働きかけ、卓球の台を買ってみんなでやったり、サッカーもやりました。その結果、青年が増えてきて日教寺に青年会ができ、それが他のお寺にも広がって全国的組織になり、その50周年が今回祝われています」との流れを説明した。
れい子さん自身も父と共に来伯し、初回に2年3カ月、2回目の折にも父に同行し、人格形成期の計5年を当地で過ごした。「現在ではブラジルに18人の教務(僧侶)がいますが、ほとんどがブラジル人でご法門(法話)をポ語でやっているのを見てビックリ。父は、日本語もよく分からないブラジル人教務を育てることに力を注いでいました。過去の姿を知っているのでとても感慨深いです」と語った。
菊地義治元理事長(85歳、岩手県)は「日本からの派遣教務が5代続いた後、1980年代から当地の教務が全てを担うことに切り替わった。その成果が現在出ている」との流れを説明した。
当日は、日本から竹村日愛(にちあい)導師(55歳、千葉県)と山田随伯師(31歳、千葉県)も来伯し、二日目の「青年御会式(おえしき)」を勤めた。これは、日蓮大菩薩・日隆大聖人と開導日扇聖人のお徳を讃える法要で盛大に行われた。
竹村導師は「私の師匠が宗務本庁の海外部長もされ、ブラジルからの教務を育てる御奉公をしていた関係で、私にもブラジルに行くようにとのお言葉もあったが、その時はどうしても行けなかった。が、弟子の山田随伯師から『出家得度したい』との申し出を受けた時、『ブラジルでやってみたら』と提案したら受け入れてくれた」という。
山田随伯師は10年前に日本から来て2年間を過ごす途中、当地で僧侶になった。「3月に来て7月に得度した。最初、文化の違いがすごかった。1年間は日教寺だったのである程度日本語通じたが、後の1年は地方へ行ったのでほぼ通じず一生懸命ポ語を覚えた。今回は10年前のお礼に来ました」と振り返った。
竹村導師は「かつて日本から教えに来たが、今は日本から学びに来ることがあってもいい時代になった。その第一号が山田導師だと思っています」という。菊地さんは「僕と妻マリザは日教寺で挙げた結婚式の第一号。御牧上人が式を勤めてくれました。この12月であれから60周年です」と感慨深気に述べた。
平和写真展の会期延長
同寺で開催中の写真展「カバンの中の日本 ― 戦争・平和・仏教」が好評により、8月8日から28日まで延長して行われることになった。これは戦後80年、広島・長崎への原爆投下の記憶と平和への歩みを写真で展示したもの。終戦直後に米兵ジョー・オドネルが広島や長崎で撮影した40枚が展示されている。午前10時から17時まで。入場無料。住所は日教寺( Rua Vicente da Costa, 211 – Ipiranga)。